プリツカー賞など数々の賞を受賞し、ポストモダンの旗手として数々の建築作品を遺した建築家・磯崎新さんが死去
2019年に建築界のノーベル賞とも言われるプリツカー賞を受賞した建築家の磯崎新(いそざき・あらた)さんが2022年12月28日、老衰のため沖縄県那覇市の自宅で死去しました。
磯崎新さんは、ポストモダンの旗手として「つくばセンタービル」や「水戸芸術館」、「ロサンゼルス現代美術館」など国内外に数々の建築作品を遺しています。
プリツカー賞も受賞した世界の建築界を牽引した建築家・磯崎新
磯崎新(以下敬称略)は、大分県大分市生まれで東京大学の建築学科を卒業。大学院までの在学中には丹下健三研究室で黒川紀章らとともに東京という都市の改革の提案である「東京計画1960」など数多くのプロジェクトに関わりました。作家の沢木耕太郎と親交があり「深夜特急」にも登場しています。
1963年に自身の設計事務所である「磯崎新アトリエ」を設立。現在磯崎新のギャラリーとしても機能している大分アートプラザ(旧大分県立大分図書館)は初期の代表作です。1970年の大阪万博では、丹下健三との協働でメインとなるお祭り広場を手がけています。
参考:プリツカー賞受賞した理論的建築家・磯崎新の初期の作品「アートプラザ・磯崎新記念館」
アバンギャルドでありながら理論派の建築家
1975年に発売された著書「建築の解体」は、近代建築から70年代初期までを総括、解説し、その後の建築界にも大きく影響を与えました。特に1975年の新建築住宅設計競技(コンペ)では、受賞者の選出に日本人を最低1人は受賞させるという内規を無視し、(公平を期すには当然のことですが)1~3位までに外国人を選手するなど、国内の建築界に問題を提起するなど、当時としては過激に思える提案もしています。常に社会と建築を批評的に捉え、様々な言説とバイブル的な著書を残してきた「理論派」の建築家でもありました。
国内外に存在する象徴的な建築作品
つくばセンタービルや水戸芸術館、北九州市立美術館、山口情報芸術センター・YCAM(ワイカム)など象徴的な建築作品を手掛け、ポストモダン建築の旗手として注目を集めます。1980年代には海外にもその活動を拡大し、アメリカ・ロサンゼルスのロサンゼルス現代美術館やバルセロナオリンピックの会場にもなったスペイン・バルセロナのパラウ・サン・ジョルディ、同じくスペインのア・コルーニャ人間科学館、カタール・ドーハのカタール国立コンベンションセンターなど世界中に磯崎建築は広がっています。
プリツカー賞やヴェネツィア・ビエンナーレ金獅子賞、RIBAゴールドメダルなど数々の賞を受賞
2019年には「建築界のノーベル賞」とも言われるプリツカー賞を受賞しています。過去にはザハ・ハディドやレム・コールハース、フランク・O・ゲーリー、レンゾ・ピアノなど名だたる巨匠建築家が受賞した名誉ある賞で、日本人としては8人目の快挙でした。功績と比較すると遅すぎるとも思える受賞ですが一度辞退したこともあると噂があります(あくまで噂です)。
参考:2019年のプリツカー賞は世界の建築界に多大な影響を与える建築家・磯崎新が受賞。日本人としては8人目。
プリツカー賞以外にも「ヴェネツィア・ビエンナーレ金獅子賞」「RIBAゴールドメダル」「日本建築学会賞」など国内外の数多くの賞を受賞しています。
自身も受賞したプリツカー賞の審査員を賞設立から10年近く審査員を務めていました。他にもコンペの審査委員長を務めて伊東豊雄設計のせんだいメディアテーク、香港のザ・ピークのコンペでザハ・ハディド、審査員として関わったプロジェクトからは名建築を実現させたり、将来活躍する建築家を発掘したりと先見の明で右に出るものはいませんでした。
ご訃報に接し、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
建築家・磯崎新さんは、日本だけでなく世界の建築界に多大な影響を与えた建築家でした。ご生前のご功績を偲び、謹んで哀悼の意を表します。