バウハウスにも多大な貢献をした巨匠建築家「ミース・ファン・デル・ローエ」とは!?
ル・コルビュジエやフランク・ロイド・ライトと並び近代建築の三大巨匠の一人であるルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ。彼が近代建築で実践し遺してきたものは、現代の建築や家具、様々なデザインの分野にも多大な影響を与えている。
ミースは1886年にドイツのアーヘンに産まれた。大学で専門的な建築の教育を受けることはなく、職業訓練学校で製図を学んだ後、漆喰装飾のデザイナーを経て1906年に設計事務所に勤務する。1912年に独立し事務所を構えた。その後は、皆の知る通り様々な住宅作品を手掛け、1927年にはヴァルター・グロピウスやル・コルビュジエ、ブルーノ・タウトらとともにドイツ工作連盟主催のシュトゥットガルト住宅展に参加。1929年にはバルセロナ万国博覧会でドイツ館であるバルセロナ・パヴィリオンを手掛けた。バウハウスの第3代校長を務めた後は、アメリカに渡り1969年に死去するまで精力的に活動を続け、数多くの作品を遺した。
「Less is more.(レス・イズ・モア)」や「God is in the details.(神は細部に宿る)」のキーワード
ミースは、その作品の他に「Less is more.(レス・イズ・モア)」や「God is in the details.(神は細部に宿る)」という有名な標語を遺している。「Less is more.」は19世紀の画家ロバート・ブラウニングらも使っているし、「God is in the details.」はもともとユダヤ教では馴染みのある言葉であったが、ミースの建築作品と合わせてそのキーワードを聞くと納得させられるところが多くミースの言葉として知られている。
晩年に新たな表現を求めたル・コルビュジエや土着的な要素を建築に取り入れたフランク・ロイド・ライトと比べてもモダニズム建築を正統的に構築したミースの建築。装飾的なものを一切取り除き、建築の表現のみに終始するミースの建築は「Less is more.」の言葉の通り「より少ないことは良いことである」こと表し、その建築が徹底的なディテールの検証の積み重ねであるように「God is in the details.」の精神で作られていることがわかる。
バウハウスの第3代校長を務める
当時ヴァイマルからデッサウに移転し、世界的な評価が非常に高まっていたバウハウス。2代目の校長を務めたハンネス・マイヤーが共産主義者であり、教育に政治色を強く反映していたためナチスからの風当たりが強くなっていた。
そこでバウハウス創設者のヴァルター・グロピウスの推薦により、ミースが第3代校長に就任。マイヤーによる機能主義的なデザイン思想は継承しつつ、政治色を取り払いナチスら右翼勢力とも距離を置くことにした。バウハウスは、1932年にデッサウからベルリンに移転させるも、翌年には実質的にナチスによって閉鎖に追い込まれた。
そのため、ミースもアメリカに亡命し、シカゴの後のイリノイ工科大学となるアーマー大学で建築学科の主任教授を務めた。
モダニズム空間の理想形「ユニバーサル・スペース」
モダニズム以前の建築は、煉瓦や石で作られ西洋の伝統的な空間作りだった。それに対して鉄とガラス、コンクリートで作るモダニズム以後の建築は、床や壁、天井を自由に作り、より自由に空間を作ることができる。オフィスビルなどの建築を手掛けることが多かったミースは、各階を柱・壁の少ない広い空間として可動間仕切りなどで空間を規定する「ユニバーサル・スペース」と言われる建築空間を多用した。
この「ユニバーサル・スペース」は、ミースの求める建築の普遍性でもあり、伝統や慣習と言った建築を限定的にする要素からの解放する概念でもあった。それは同時にモダニズムが目指した理想的な建築の姿である。今日に至っては、世界中のありとあらゆる都市にこの「ユニバーサル・スペース」の概念を継承したオフィスビルが立ち並んでいて、ル・コルビュジエやフランク・ロイド・ライトと比べてもミースが遺した功績は大きいと言えるだろう。
バウハウス100周年を迎える今年は、ミース・ファン・デル・ローエ没後50年でもある。この機会にミースの建築やミースの関わったバウハウスを含め、その建築思想に触れてみてはどうだろうか。