住街区までデザインした建築家・宮脇檀の名作住宅「日野の家」をstudio9Xが手掛ける「住み継ぐ」住宅再生プロジェクト

「建て替える」のではなく、「住み継ぐ」という選択がある——。建築設計事務所studio9Xが手がけた住宅再生プロジェクト「日野の家―宮脇檀住宅を住み継ぐ」が、2026年7月下旬に完成しました。舞台となるのは、建築家・宮脇檀(1936-1998)が住宅地計画から深く関わった「高幡鹿島台ガーデン」(東京都日野市)に建つ、築約30年の住宅です。建築不動産コンサルティングを手がける創造系不動産株式会社も参画し、建築家住宅を安心して次の世代へ引き継ぐための総合的なプロセスを実践した事例として、注目を集めています。

宮脇檀が描いた「住街区」という思想

写真:AKIRA NAKAMURA

このプロジェクトを語るには、まず宮脇檀という建築家の思想に触れる必要があります。東京藝術大学建築科を卒業後、東京大学大学院を修了した宮脇は、1964年に宮脇檀建築研究室を設立。生涯にわたって「住まいとは何か」を問い続け、住宅設計だけにとどまらない独自の住宅論・都市論を展開しました。代表作『松川ボックス』で1979年に日本建築学会賞作品賞を受賞し、著書や講義を通じて日本の住まいのあり方に大きな影響を与えた人物です。

現在の様子

その宮脇が晩年に取り組んだ代表的な仕事のひとつが、1985年に鹿島建設と共同で計画した全54区画の住宅地「高幡鹿島台ガーデン」です。このプロジェクトが特別なのは、住宅を一棟ずつ個別に設計するにとどまらず、道路、広場、街並み全体を一体的にデザインした点にあります。歩行者を優先したボンエルフ道路(生活道路)、街区内を歩いて回遊できるフットパス(歩行者専用の小径)、住民が自然と交流できるポケット広場、そして建物の配置やデザインに関する共通ルールである建築コード——これらが総合的に計画されることで、住む人々の日常が自然と豊かになる環境が生まれました。

住宅は建物単体ではなく、街並みや近隣との関係の中で初めて豊かな住環境になるという宮脇の哲学が、この住宅地全体に息づいています。今回再生の舞台となった住宅は、まさにその思想の中で設計された一棟です。

一組の家族の住まい探しから始まったプロジェクト

写真:AKIRA NAKAMURA

このプロジェクトは、ひとつの偶然の出会いから動き出しました。

日野市周辺で約1年半にわたり、新築注文住宅も含めて住まいを探し続けていた30代の家族が辿り着いたのは、「高幡鹿島台ガーデン」の一番奥に建つ一軒の中古住宅でした。敷地の目の前には大きな公園が広がり、室内からその緑に向かって大きな開口部が設けられている。光が柔らかく差し込み、外の自然が静かに滲み込んでくるような、派手さのない落ち着いた空間が広がっていました。

現在の様子

物件調査を進める中で、この住宅が宮脇檀による設計であることが判明します。築年数を重ねた建物には設備の老朽化や経年劣化も見られましたが、空間の構成や細部の納まりには、今なお色あせない魅力が残されていました。一方、ホームインスペクションでは建物基礎の沈下も確認され、一般的には購入を断念するケースも少なくない状況でもありました。

そこで動いたのが、創造系不動産です。建物の状態を丁寧に調査し、補修方法や必要な工事費、想定されるリスクを購入前に整理。studio9X、創造系不動産、そして住まい手の三者が情報を共有しながら検討を重ねた結果、「安心して住み継ぐ」という選択へとたどり着きました。

studio9X

2024年に活動を開始した、野藤優・下平貴也・坂梨桃子による建築設計事務所。建築設計の専門性を軸に、ステークホルダーの伴走者として丁寧なものづくりを行う。従来の枠組みにとらわれることなく、社会へ建築を実装していく広義のデザインを実践している。

URL:https://studio9x.com/

「残す」と「更新する」の判断を、一つひとつ積み重ねる

写真:AKIRA NAKAMURA

studio9Xが最も丁寧に向き合ったのは、「どこを残し、どこを更新するか」という判断の連続です。

建築家住宅の魅力は、空間の構成、光の取り込み方、素材の使い方など、建物全体に宿る設計思想にあります。それを一新してしまえば、住宅としての魅力の核心は失われます。一方で、設備や水回りは現代の暮らしに合わせた更新が必要です。

宮脇氏による本物件のドローイング

studio9Xは、建物が本来持っている価値を読み解きながら、現代の暮らしに必要な機能だけを加えていくという方針で改修を進めました。浴室やキッチンなどの水回りは刷新して耐久性とメンテナンス性を高めた一方で、建具、造作家具、金物など建築当初の職人仕事が感じられる部分は可能な限り残し、再利用しています。

また、前の住まい手は美術関係者で、落ち着いた色調の空間を大切にしていたといいます。新たな住まい手は幼い子どもを育てる30代の家族。studio9Xは、空間が本来持つ静かな魅力を尊重しながらも、素材の重さや内装の明るさを調整することで、子育て世帯が日々を心地よく過ごせる住まいへと丁寧に更新しました。

studio9Xはこのプロジェクトへの思いをこう語っています。「まずそのどっしりとした構えと、派手さは無くとも落ち着く空間に感銘を受けました。生涯を通して住宅を作り続けた宮脇氏が晩年にたどり着いた、住まい手のために極限にまで洗練されたこの住宅が持つ独特な質の高さは、現代ではなかなか再現のできるものではないと感じました。良いものはきちんと残して次の世代へと引き継ぐべきだという純粋な想いを実現すべく、壊さず長く使い続ける方法を模索しました」。

「住み継ぐ」は、特別な人だけの選択ではない

このプロジェクトが示唆するのは、建築家住宅は特別な人だけのものではないという可能性です。建物の状態を正しく把握し、その価値を理解したうえで必要な更新を行えば、新たな住まい手が安心して暮らし続けることができる——本プロジェクトはその実践例です。

人口減少と空き家の増加が社会課題として急速に浮上するなか、「建て替える」以外の選択肢を示すことの意義はますます大きくなっています。宮脇が「高幡鹿島台ガーデン」で目指した、住民同士の交流や日常の風景が自然に生まれる住街区の豊かさを、この住宅は引き続き体現し続けることになります。

一棟の住宅が再び誰かの暮らしの舞台となり、時間とともに新たな価値を重ねていく。「住み継ぐ」という行為そのものが、建築家の思想を未来へと橋渡しする営みであることを、このプロジェクトは静かに証明しています。

日野の家―宮脇檀住宅を住み継ぐ

所在地: 東京都日野市
用途: 住宅
竣工: 2026年7月下旬
設計: studio9X
施工: 株式会社NENGO
建築不動産コンサルティング: 創造系不動産株式会社