木漏れ日を設計する。藤本壮介による「ハンガリー音楽の家」がブダペストの公園に生んだ音楽の森。
ハンガリーの首都ブダペスト、市民公園ヴァーロシュリゲット(Városliget)。英雄広場の先に広がるこの緑地に、大小100を超える穴があいた大屋根が、樹々のあいだへ滑り込むように浮かんでいます。日本の建築家・藤本壮介が設計した「ハンガリー音楽の家(Magyar Zene Háza/House of Music Hungary)」です。
2022年1月に開館したこの建築は、コンサートホールであり、音の展示施設であり、音楽教育の拠点でもある複合文化施設。タイム誌の「World’s Greatest Places」に選ばれ、ヨーロッパ最優秀博物館賞(EMYA)でも特別賞を受賞するなど、開館後わずか数年で世界的な評価を確立しました。
木漏れ日という現象を、建築の出発点に

藤本壮介はこの建築を構想するにあたって、市民公園に立つ無数の樹々と、その樹々がつくり出す空間に魅了されたと語っています。厚く豊かな樹冠は周囲を覆って守ってくれると同時に、太陽の光を地面まで届けてくれる——設計の起点になったのは、その二面性への気づきでした。

覆われているのに、閉じていない。守られているのに、外とつながっている。木漏れ日というありふれた現象のなかにある、この矛盾した豊かさをそのまま空間に置き換えること。それがハンガリー音楽の家の設計テーマになりました。

ですからこの建築には、いわゆる「正面」がありません。円をゆるやかに崩したような輪郭の屋根の下は、どの方向からでも入っていける。前も後ろもなく、公園を歩く人の流れをそのまま受け止める構成は、森のなかを歩くときの自由さによく似ています。
藤本壮介といえば、House N(大分)やSerpentine Pavilion 2013(ロンドン)、L’Arbre Blanc(フランス・モンペリエ)、そして2025年大阪・関西万博の大屋根リングなど、「内と外の境界を曖昧にする」試みを一貫して続けてきた建築家です。ハンガリー音楽の家は、そのテーマが最も詩的な形で結実した作品といえるでしょう。
170を超える国際応募案から選ばれた藤本壮介案

ハンガリー音楽の家は、ヴァーロシュリゲットの再生を目指す国家的な文化開発「リゲト・ブダペスト・プロジェクト」の一環として計画されました。設計者は国際設計競技で選ばれ、藤本壮介の案は170を超える国際応募案のなかから選出されています。

現地での実施設計はハンガリーの設計事務所M-Teampannonとの協働。そして音響設計を担ったのは、日本の永田音響設計です。ウォルト・ディズニー・コンサートホール(ロサンゼルス)やエルプフィルハーモニー・ハンブルクを手がけてきた、世界屈指の音響設計チームが参加しています。
2021年12月に竣工し、2022年1月23日に開館。延床面積は約9,000㎡です。
大小100を超える穴が、樹々を貫いていく

この建築を語るうえで、まず屋根から始めなければなりません。

ゆるやかに波打つ大屋根は、公園の樹冠よりも低い高さに抑えられています。厚みは一定ではなく、最も厚い部分では7mを超え、外周へ向かうにつれて数センチの薄さへと消えていく。この極端な断面の変化こそが、巨大な屋根を「浮いている」ように見せる仕掛けです。遠くから眺めたときの軽やかさと、真下に立ったときの包まれる感覚。相反するふたつの印象が、断面ひとつで両立しています。

そして屋根には、大小さまざまな開口があけられています。すべてがひとつずつ異なる形状で設計され、正円はひとつもありません。完全な円は人工的すぎるという判断から、輪郭はわずかに歪められています。

この穴には、ふたつの役割があります。ひとつは、既存の樹木を屋根の上へと通すこと。更地にしてから建てるのではなく、そこにあった木をそのまま貫かせる。もうひとつは、光を落とすこと。時間とともに移ろう光の斑が床に落ち、屋内にいながら森の下にいるような感覚が生まれます。
自由曲面を支えているのは、約1,000枚のハニカム状のスチール要素です。詩的な現象の裏側には、きわめて工学的な解決が隠されています。
3万枚の金色の葉が吊るされた軒天

屋根を見上げたときの体験は、この建築のハイライトのひとつです。
軒天には、アルミ複合材でつくられた約30,000枚のメタリックな「葉」が吊り下げられています。金色は3種類の色調が使い分けられ、その着想源となったのは、1875年創立のリスト・フェレンツ音楽院に代表される、ブダペストの歴史的な音楽空間がまとってきた金の輝きでした。

ハンガリーの音楽文化が積み重ねてきた記憶を、現代の素材と手法で引き継ぐ。しかもこの葉は装飾にとどまりません。背後の吸音材とスチールのハニカム構造を隠しながら、館内の音環境をととのえる役割も担っています。
昼は公園の緑を映し込み、夜は照明を受けて柔らかく光る。美しさと機能が分かちがたく結びついた、見事なディテールです。
高さ12mのガラスが、内と外の境界を溶かす

屋根の下をぐるりと囲んでいるのは、94枚のオーダーメイドの断熱ガラスです。最も高いところで、その高さは約12mに達します。

特筆すべきは、水平方向の分割をできるだけ排していること。透明な面がどこまでも連続することで、館内から見える風景と、屋外から見える館内の風景が、ほとんど同じものになります。壁があるのに、隔てられている感じがしない。藤本壮介の建築に一貫して流れる「境界を溶かす」というテーマが、ここでは最もストレートな形で実現されています。

エントランスロビーの天井高は約7m。ガラスの外には公園の樹々が立ち、ガラスの内には金色の葉が吊るされている。ふたつの「森」が透明な膜を挟んで向かい合う光景は、この建築でしか味わえないものです。

そして日が落ちると、関係は反転します。昼間は緑を映す鏡のようだったガラスが、夜には内側の光を通す膜へと変わり、金色の天井が公園の闇に浮かび上がる。同じ建築が、時間帯によってまったく別の表情を見せてくれます。
公園の緑を背景に音楽を聴く、ガラス張りのコンサートホール

このガラスの思想が最も大胆に持ち込まれているのが、地上階にある約320席のコンサートホールです。
通常、コンサートホールは閉ざされた箱としてつくられます。音を制御するためにも、集中を保つためにも、外界から切り離すのが定石だからです。ところがこのホールは、壁の一部が大きなガラス面になっています。客席に座ると、演奏者の背後には公園の緑が広がっている。音楽と同時に、風に揺れる樹々や、季節ごとに移り変わる光まで一緒に体験することになるのです。

ガラス面は角度をもたせた多面構成になっており、これは眺望のためだけの造形ではありません。舞台背面のガラスは音を客席へ返す反射面として設計されており、演目に応じてロールスクリーンで調整することができます。遮光が必要な公演では暗幕を下ろし、昼の自然光を活かしたい公演では開け放つ。天井には重厚なトラスが組まれ、吸音材や照明、技術設備がそのなかに納められています。

つまり、風景を取り込むという詩的な要求と、音響という物理的な要求が、ひとつの壁面のなかで同時に解かれているわけです。永田音響設計が参加した意味は、まさにここにあります。

隣接する100席のレクチャーホール、そして屋外ステージも、この「開かれた音楽体験」という考え方の延長線上にあります。天気のよい日には、芝生の上で音楽を楽しむこともできます。
地下・地上・上階、三層で音楽をたどる

建築の内部は、大きく三つのレイヤーで構成されています。

地下階は展示のフロアです。

常設展「Dimensions of Sound(音の次元)」では、ハンガリーの民俗音楽からヨーロッパ音楽の歴史的展開までを、音と映像を駆使して体験的にたどることができます。

ブラックボックス型の企画展ギャラリーも備え、光をコントロールした濃密な展示空間がつくられています。約60名を収容する半球状の「サウンド・ドーム」もこのフロアにあり、31台以上のスピーカーによる360度の音響体験が用意されています。

地上階は、公園と地続きの開かれたフロア。前述のコンサートホールとレクチャーホール、カフェ、そして自由な輪郭をしたロビーが配されています。

上階は、学びのフロアです。音楽アーカイブ、デジタルライブラリー、教育のための諸室が置かれ、子どもや保護者、教員、若い世代に向けた音楽教育プログラムがここから発信されています。

音を「聴く」「学ぶ」「体験する」という三つの動詞が、そのまま三つの階に振り分けられている。断面がプログラムをそのまま語る、明快な構成です。
公園を回復させながら建つ、という設計思想

この建築は、見た目の詩情だけで成り立っているわけではありません。

地下100mまで掘り下げた120本の地中熱交換井を利用したヒートポンプシステムが導入され、テレクーリングと呼ばれる地域冷房も併用されています。環境性能評価であるBREEAMの認証も取得済み。公園という敷地に建つ施設として、環境負荷を抑える工夫が細部まで組み込まれています。

さらにこの施設は、約7,000㎡の緑地を再生した土地の上に建てられました。建築が公園を奪うのではなく、公園を回復させながら建つ。この姿勢は、ヴァーロシュリゲットで進む一連のプロジェクトに共通するものです。
リゲト・ブダペスト・プロジェクトと、その賛否

ハンガリー音楽の家は、ヨーロッパ最大級の都市文化開発とも称される「リゲト・ブダペスト・プロジェクト」を構成する建築のひとつです。

同じ公園内には、ナプール・アーキテクトによる「民族学博物館」が2022年に開館。屋上が緑化され、誰でも登ることのできる門型の建築として大きな話題となりました。さらにSANAAによる新国立美術館の計画も控えており、ヴァーロシュリゲットは現代建築のショーケースのような場所になりつつあります。
参考:ナプール・アーキテクトが設計したブダペストの「民族学博物館」は、公園の大地がめくれ上がったような門の建築。

一方で、歴史ある市民公園に文化施設を建設することに対しては、緑地が失われることを懸念する市民や環境団体からの反対の声もありました。この計画は、決して全面的な賛同のなかで進んできたわけではありません。
だからこそ、樹々を伐らずに屋根に穴をあけ、屋根を樹冠より低く抑え、緑地を再生した上に建てるという藤本壮介の解答は、批判に対するひとつの建築的な応答として読むことができます。公園を守ることと、公園に建てることは両立できるのか。この建築は、その問いへの具体的な提案なのです。

なお最寄り駅は、1896年開業でヨーロッパ大陸最古、世界遺産にも登録されているブダペスト地下鉄1号線(M1)の英雄広場駅。19世紀の地下鉄で20世紀初頭の広場に降り立ち、21世紀の建築へ歩いていくという時間の重なりも、この場所ならではの体験です。
世界からの評価

開館前後を通じて、ハンガリー音楽の家は数多くの評価を受けてきました。
2019年のInternational Property Awardsではヨーロッパ最優秀公共建築に、2020年のMusic Cities Awardsでは「World’s Best Use of Music in Property Development」に選出。竣工前の2021年にはCNNが「最も期待される建築」の10選に挙げ、2023年にはタイム誌の「World’s Greatest Places」に選ばれています。さらに2025年には、ヨーロッパ最優秀博物館賞(EMYA)で特別賞を受賞しました。
建築としての完成度だけでなく、音楽施設として、博物館として、そして公園の一部としての価値が、いずれも高く評価されているということです。
建築が、木漏れ日をつくることができるということ
ハンガリー音楽の家がもたらす感動は、じつはとても素朴なものかもしれません。屋根に穴があいていて、そこから光が落ちてくる。木が建物を貫いている。見上げると金色の葉が揺れている。ガラスの向こうで音楽が鳴っている。ただ、それだけのことです。
けれども「ただそれだけ」を成立させるために、100を超える異なる形の開口が設計され、3万枚の葉が吊るされ、12mのガラスが立てられ、1,000枚のスチール要素が組み上げられました。森の下にいるという感覚を建築でつくり出すことは、これほどまでに繊細で、これほどまでに手間のかかる仕事なのです。
音楽もまた、空気の震えという目に見えないものを、緻密な技術によって形にする営みです。その意味でこの建築は、音楽そのものに対するとても誠実な返答なのかもしれません。
ブダペストを訪れる機会があれば、ぜひヴァーロシュリゲットへ。木漏れ日の下で音楽を聴くという、忘れがたい時間が待っています。
ハンガリー音楽の家 – House of Music Hungary
開館時間:10:00~18:00
休館日:月曜日
URL:https://zenehaza.hu/
住所:Budapest, Olof Palme stny. 3, 1146 Hungary