中川政七商店・十三代中川政七。愛されるブランドづくりは、市場調査よりも“自分起点”で考えるところから。

「日本の工芸を元気にする!」をビジョンに掲げ、小売事業や教育事業、地域活性事業など、さまざまな活動を行う「株式会社中川政七商店」。街中で、そのブランドや店舗を見かけたことがある人も多いのではないだろうか。その歴史はなんと約300年前、享保元年にまでさかのぼる。今回は、13代目の代表取締役会長である中川政七さんに、愛するデザインや工芸の魅力、そしてモノづくりの考え方を伺った。

中川政七。工芸界初のSPA業態を確立し、そのノウハウを生かして業界特化型の経営コンサルティングを手がける。2015年に会社としてポーター賞、2016年に日本イノベーター大賞優秀賞を受賞。

新居はお気に入りの椅子を起点に内装をデザイン

仕事柄、様々なデザインに関わる機会の多い中川さんが、暮らしの中で大切にしているデザインは「椅子」。家で本を読む時間を好む中川さんにとっては、その時に使用する椅子が大切だといい、ハンス J. ウェグナーのラウンジチェア「CH25」に座って読書するのが定番なのだとか。「落ち着きながら、長時間座って読める椅子ってなかなかなくて。最近引っ越しをした際、この椅子を起点に全て内装インテリアを考えたくらい、この椅子をすごい愛用しています」と話してくれた。

そして引っ越すにあたり、もう1つ今回こだわったのが「全面ウィルソンのウールカーペット敷きこみ」とのこと。最近はフローリングの家がほとんどだが、中川さんは堀田カーペットの踏み心地や居心地が気に入っているという。床暖房もつけていることから、床でゴロゴロできるだけでなく、スリッパ要らず。ストレッチをするときもヨガマットを出す必要もなし。ホコリも出にくく、トイレとお風呂場以外は全てウィルソンのウールカーペットを敷き込んだそうだ。居心地の良さにとても満足しており、「もっと早くしていれば良かった」と思うほどなのだとか。

300年以上歴史のある中川政七商店、社是や家訓はなかった

中川政七商店の歴史は、享保元年から。1716年に、初代・中屋喜兵衛さんが奈良晒の商いを始めたのが、ブランドの始まりだった。中川さんによると、江戸時代は本当に栄えていて、供給先の一つが、武士が城に上がる際、肩に羽織る「裃」だったという。しかし明治に変わって武士がいなくなり、産業としては一気に衰退してしまったとのこと。

写真:中川政七商店

その後もお坊さんの着物である法衣や、茶道具の茶巾など、奈良晒の商いも続けていた。「僕の代になると、麻を使った生活雑貨から始まって、今は全国の工芸の生活雑貨に形を変えて、小売までやるようになり、徐々に形が変わってきた」と話す。2002年に家業に戻ってきた中川さんは生活雑貨を始めるも、最初は赤字が続いていたそう。

「何のためにこの先働いていくのか、迷いが出てしまったんです。長い会社だから社是や家訓があるのではと父に聞いたところ、そんなものはないと言われて。これでは、この先20、30年とスタッフも含めて頑張れる目標がないと思い、そこで掲げたのが“日本の工芸を元気にする!”というビジョンです」

写真:中川政七商店

日本の工芸は、1980年代後半のピークから比べると、今では6分の1にまで下がっているそうだ。現代の生活様式の変化に対応できていないという点も、原因の一つ。その部分や経営面のサポートも含め、全国の工芸メーカーの経営再生に取り組んでいるという。

それだけ歴史が長い家業を継ぐとなると、重みや重圧は感じないのだろうか。中川さんに尋ねると、意外にも「全然そんなことないです(笑)。」との答えが返ってきた。「代替わりするときには、父から“捉われるな”と一言だけ言われて代替わりしました。もちろん感謝はしていますが、それに重きを置きすぎて動けなくならないように、とは思っています」。

手で作るからこそ生まれる、工芸の魅力

写真:竹田俊吾

中川さんが語る生活工芸の魅力は、土着性。「技術的に優れている点ももちろんあるけれど、それは美術工芸みたいなもので、生活の中で使われる日用品としての生活工芸は、またちょっと違う。日本の気候や風土とか受け継いできた、土地性みたいなものが工芸の良さ」だと語る。

「水を飲むだけのコップであれば、100円ショップのコップでも十分ですよね。でもそれ1つとっても、産地で少しずつ小さな工夫が凝らされていたりとか、その土地の雰囲気を感じさせたりとか。その土地の気候・風土や、慣習を踏まえたものづくりが日本全国でされているんです」

「遊 中川」「中川政七商店」「日本市」など、複数店舗・ブランドを展開する秘訣

写真:中川政七商店

「暮らしの道具」をコンセプトに、家・生活に根ざした機能的で美しいアイテムを揃える「中川政七商店」、「日本の布ぬの」をコンセプトに、日本に古くから伝わる素材・技術・意匠と今の感覚をあわせたテキスタイルを提案するブランド「遊 中川」。

そして「日本の土産もの」をコンセプトに、各地で生まれた工芸やその土地ならではのモチーフにこだわって、息の長い商品を取り扱う「日本市」など、中川政七商店の事業では、複数の店舗・ブランドが展開されている。そのブランドづくりの秘訣を中川さんに聞くと、市場の見方を例に出して語ってくれた。

写真:中川政七商店

「よくマーケティングでは、“プロダクトアウトではなく、マーケットインである”と言われます。要は市場をちゃんと見てから商売を始めなさいと、近年当たり前のように言われてきました。でも僕は、時代としては逆だと思っている。マーケットから見て隙間を探すと、答えは1つしかなく、みんなそこに向かっていく。もうマーケットには、大きな穴なんてないと思います。ましてや、地方の中小企業でマーケティングにそんなにお金をかけられない中で、どうやって作ればいいのか。それは、今の時代の社会性を踏まえながら、本当に自分がやりたいこと、やるべきことを考え抜いて、モノの形として、ブランドとして世の中に出していくことだと考えます。そうすることで、少なからず共感を得ることができるはず。マーケットを先に見るのではなくて、自分たち起点で、自分たちのことから考えていくのがいいと思うんです」

写真:中川政七商店

現在は小売の場所として、インターネットで販売するEコマースと実店舗の、2通りが用意されている。コロナになってから、お店に足を運びにくい人も増えたため、Eコマースがいい補完になってくれたという。現在は世の中の流れから、店舗を閉店するブランドも増えているが、中川政七商店はコロナを経ても店舗を基本的に減らしていない。その理由は「やっぱり工芸は目で見て、手で触って初めて感じられることがあるから」と語る。

「工業製品とは違って1個1個違う工芸は、そこが良さでもあり、伝わりにくいところでもある。リアルな場で見てもらうっていうのは無くならないと思いますし、利便性としての補完として、共存しながらやっていければと思います」

中川政七さんの、ライフイズ◯◯

写真:中川政七商店

2010年には吉村靖孝氏の設計で、新社屋が完成。元々それまで、労働環境としては厳しい状況だったと言い、「社屋ができたことで働く環境も変わりましたし、社屋を見てうちの会社で働きたいと言ってくれる人も出てきたので、今も変わらず象徴としてある」と語る。

そんな中川さんにとって、ライフイズ◯◯の空欄に当てはまる言葉は「ビジョン」。「会社はただ利益を出すことだけが目的ではなく、ビジョンを達成するために会社が存在するのだと思う。人生として、そして1人の人間としても、目の前のことに対して繰り返し挑戦し続ける中で寿命がくると思いますが、何かそこにビジョンを持ち、限りある人生でそのビジョンを成し遂げて、生きていきたいなと思う」と話してくれた。