初代校長であるグロピウスが手掛けたガラスのカーテンウォールが軽快な「バウハウス・デッサウ」校舎。

第一次世界大戦が終結してヴァイマール共和国が建国されて間もなく、1919年に美術大学と統合という形でヴァイマール州立でバウハウスが誕生した。

ヴァイマールでは主にデザインにおける基礎教育が主となっていたが、4周年を記念した展覧会で実験住宅「ハウス・アム・ホルン」などやっと実践的な教育に結びついていった。だがしかし、バウハウス自体の地名度も高くなると、ヴァイマール自体の政治的混乱と台頭してきた右翼政党からの批判が高まったことにより、移転を余儀無くされる。

そこでバウハウスの移転を受け入れたのが、航空機メーカー・ユンカースの工場もあり、リベラルな土壌のあった新興工業都市であるデッサウ市だった。そして、バウハウスはデッサウで最盛期を迎えることになる。

グロピウス自らが手掛けた「バウハウス・デッサウ」校舎

移転と同時にバウハウス初代校長でもある近代建築の巨匠ヴァルター・グロピウスは、自らの手で「バウハウス・デッサウ」校舎を設計。バウハウスを知るものであれば誰しもがイメージするであろう校名が入った工房棟を含めて、1926年にオープン。家具や照明などはバウハウスのマイスターや学生によってデザインされた。

デッサウ市からの潤沢な支援を提供してもらったり、部材を近くにあるユンカースの工場で生産したりと色々な好条件が重なったことで短期間で完成したと思われる。

この建築は、有名な工房棟と授業が行われた学校棟、それらと渡り廊下でつながっている管理棟という構成でできている。

それ以外にも講堂や食堂がある棟には、上部に学生用の宿舎があって学生や講師(マイスター)が暮らしていた。

軽快なガラスのカーテンウォール

現代となっては当たり前になったデザインだが、同じくグロピウスが設計した「ファグス靴型工場」でも見られる、当時としては画期的なガラスのカーテンウォールが施され、どこまでも透明が続くような軽快さと内部空間での明るさをもたらした。このガラスのカーテンウォールはディテールも興味深い。

また内部空間のインテリアデザインも非常に工業的で美しく、ドイツ的な機能主義的デザインの元になっているようだ。機能によって壁や柱などの要素に色が塗られていて、非常に鮮やかであるところはデ・ステイルからの影響であるとも思える。

 

ヴァルター・グロピウス自らが手掛けた「バウハウス・デッサウ校舎」は、グロピウス自身だけでなくバウハウスとしても傑作であり、非常に先進的なデザインの建築であった。このガラスのカーテンウォールを1度目にすると、その新しさに心を奪われるに違いない。

Bauhaus Dessau – バウハウス・デッサウ校

開館時間:10:00~17:00
URL : https://www.bauhaus-dessau.de/de/
住所:Gropiusallee 38, 06846 Dessau-Roßlau, Germany