バウハウス創立前に近代建築の巨匠ヴァルター・グロピウスが手掛けた「ファグス靴型工場」

建築家ヴァルター・グロピウスは、ル・コルビュジエやフランク・ロイド・ライト、3代目のバウハウス校長を務めたミース・ファン・デル・ローエと並んで近代建築の巨匠と言われる。

グロピウスは、1919年にバウハウスを創立して、1928年にハンネス・マイヤーに校長を引き継ぐまでの9年間現代のデザイン教育の元にもなる教育で世界を席巻。その間もバウハウス校長室のインテリアをデザインしたり、バウハウス・デッサウ校舎を設計したりと自ら実践してみせた。

ミュンヘンとベルリンの工科大学で建築を学んだ後、ペーター・ベーレンスの事務所で働き、ドイツ工作連盟にも参加した。

世界初のガラス張りの工場

グロピウスは1910年にベーレンスの事務所から独立するときに、自らの建築のアイディアと熱い想いを綴った手紙を建築を計画中と聞いた施主たちに送った。

その手紙は、カール・ベンシャイトというファグス社の創業者の目に留まった。ベンシャイトは、その前に働いた企業の総支配人を務めていたが、工場長の息子とソリが合わず独立し、エドゥアルト・ヴェルナーという建築家に工場の設計を依頼した。しかし、労務管理者として労働環境の改善を務めてきたベンシャイトはその建築に満足しなかった。

そこでグロピウスの当時としては斬新な建築のアイディアを気に入り依頼することになる。エドゥアルト・ヴェルナーの設計で主な平面計画は実施した後だったが、バウハウスでも協働することになるアドルフ・マイヤーをパートナーに加えてファサードやインテリアの全てをグロピウスが手掛けることになった。

そうして誕生したのが世界初のガラス張りの工場「ファグス靴型工場」である。また、ペーター・ベーレンスが手掛けたAEGタービン工場にも影響を受けているが、それをさらに発展させたかたちになっている。

今日でも稼働するファグス靴型工場は、ヴァルター・グロピウスのデビュー作にして、モダニズムの始まりとも言える建築になった。2011年にUNESCOの世界遺産リストに登録されている。

現代でこそガラス張りの工場は一般的なものだが、当時はバウハウスの存在と同様に奇妙なモノとの印象が強く、周辺に住む人たちも工場とは思っていなかったらしい。

バウハウス創立前の建築だがモダンな建築を実現

ファグス社の創業者カール・ベンシャイトは、自らが20年工場で働いた経験から、暗くて不衛生な快適さのカケラもないそれまでの工場ではなく全く新しい工場建築を求めていた。そこにグロピウスが考える自然光が入ったり、新鮮な空気を取り込めたりといったガラスのカーテンウォールの建築が合致した。

従来の作業効率だけを考えられて作られた工場ではなく、労働者のための工場が実現した。実際、ガラスのカーテンウォールだけでなく、壁に面していないエリアもトップライトからの自然光によって非常に明るい空間になっている。

社員食堂も全面ガラス張りで天井も高く開放的。建物の角までガラス張りの建物は今日でこそ一般的だが、当時はここにしか存在しないため訪れた人はどうやって建っていたのかわからなかったそうだ。

ファグスとはブナの木を意味していて、当時は靴型はブナの木で作られていたが、現在ではそのほとんどが成形しやすいプラスチックで製造されている。

もちろん現在でも使われている製造工場やオフィスは、グロピウスの建築により非常に労働環境の良い空間が広がっている。

グロピウスの細部まで拘られたデザイン

目の前の線路を挟んで向かい側にカール・ベンシャイトの働いていた工場がある。そのため、線路側のファサードを非常に重視したという経緯があり、その外装には綺麗にガラスのカーテンウォールが配置されている。驚くべきはそのディテールで、鉄の枠が下部に行く程細く、上部にいく程太い。これによりよりパースが補正されてより綺麗に見えるようになっている。

ガラスのカーテンウォールばかりに目が行きがちだが、工場内はグロピウスのこだわりに満ちている。機能的で合理性が高いモダンさとどこか艶やかさを感じさせる空間は、グロピウスが単に新しさだけを求めたからではなく、バウハウスで追い求めたような芸術と技術の統合をこの頃から実践していたからに他ならない。

 

ヴァルター・グロピウスが手掛けた「ファグス靴型工場」は、バウハウス以前にモダンなデザインの到来を予見する建築である。

Fagus-Werk – ファグス靴型工場

開館時間:10:00~16:00
入館料:7€
URL : https://www.fagus-werk.com
住所:Hannoversche Str. 58, 31061 Alfeld (Leine), Germany