政治家が見習う政治家、日本の政治を担い波乱万丈の人生を送った「高橋是清邸」2017.02.11Sat

昭和の金融恐慌、破産した日本経済を立て直すべく蔵相に就任し政治家が見習う政治家といわれ、波乱万丈の人生を送った人物としても有名な「高橋是清」。

その高橋是清の自宅「高橋是清邸」は2・26事件の舞台になったことでも知られている。今回は「東京江戸たてもの園」にある、伝統的な要素と当時のモダンなデザインを用した「高橋是清邸」をご紹介したい。

2・26事件の舞台となった高橋是清邸。

明治から昭和のはじめにかけて日本の政治を担った高橋是清の住まい。総栂普請で、洋間の床は寄木張りになっており、2階は部分は是清の書斎や寝室として使われていた。寝室は1936年(昭和11)2・26事件の舞台となった部屋。

2・26事件とは、昭和7年1月に「上海事変」が勃発し、時の荒木陸軍大臣は、在留邦人の生命と財産を守るため陸軍部隊の派遣を閣議にはかったところ、高橋是清がコレに反対。犬養首相の意を受けた高橋是清が、軍部予算を海軍陸軍問わず一律に削減する案を実行しようとしたが、普段から予算規模で不平不満を持っていた陸軍軍人から襲撃された軍部のクーデター未遂事件。

火炎を思わせる曲線美の特殊な「火灯窓」。

入り口を入って右側に進むと、「花頭窓」と、下部に棚がある。花頭窓は窓枠の頭部が、火炎を思わせる曲線なので別名「火灯窓」とも呼ばれ、おもに日本の、寺社建築・城郭建築・住宅建築などに見られる特殊な窓のことを言う。「書院窓」とも呼ばれている。

美しい庭園を風景として取り込む明るく広々とした空間。

1階南側の十畳2室は、美しい庭園を風景として取り込む明るく広々とした空間で、2室の天井は、天井の棹縁が少なく、天井板の幅も他の部屋と比べて広いことからなどから、この住宅の中でも主要な部屋であったと考えられる。

伝統的な要素と当時のモダンなデザインの組み合わせ。

主屋は仏間とその前室を除くすべての部屋に床の間が配置され、それぞれの部屋の性格に応じて形式も少しずつ異なっています。長押や欄間などの伝統的な要素と当時のモダンなデザインが組み合わさった興味深い建物。

柱が少なく、合理化された構造が自由な空間を実現する二階部分。

2階は総じて柱が少なく、建築の構造が合理化し、自由な空間が実現される近代和風の造りで、洋間は南に出窓を持ち、床板は寄木張りでつくられている。また、化粧材として良質の栂(つが)材が用いられているのも特徴。

是清の書斎や寝室として使われ、ここが2・26事件の現場となった。二階も一階と同じく多くのガラスが用いられていますが、これらは硝子窓としてはかなり初期の頃のものだそう。

庭園は、港区赤坂にあった高橋是清邸庭園の一部を復元しており、組井筒を水源にした流れと、雪見型灯籠などを含む景観を再現しています。是清は芝生での日光浴や庭の散策を好んだといわれている。

 “ 千と千尋の神隠し ” の千が油屋で過ごした部屋のモデル。

実はスタジオジブリの映画作品 “ 千と千尋の神隠し ” の千が油屋で過ごした部屋のモデルともいわれている。本所押上から赤坂へと移り住み、1902年(明治35年)にこの家が完成してから、1936年(昭和11年)の2・26事件で暗殺されるまでの30年あまりを是清はこの家で過ごした。

 

日銀総裁、大蔵大臣、総理大臣という大役を務める間に、この家で家族と寛ぐ事を何よりの楽しみにしていたという高橋是清。居心地の良い空間で家族と過ごす時間を楽しみたいという想いはどんな人でも変わらないのだろう。

casa amare

日本の伝統美を手本にした

「受け継がれる家」