パリ郊外にあるアルヴァ・アアルトが手がけた「ルイ・カレ邸」は、波打つ松の天井が動線を描くパリ郊外の名作住宅。

パリから南西へ約40km。ヴェルサイユとシャルトルのあいだに広がる、なだらかな丘陵地帯。バゾシュ=シュル=ギヨンヌという小さな村の丘の上に、一枚の大きなスレート屋根が地形に沿って伏せられています。

フィンランドの建築家アルヴァ・アアルトが設計した「ルイ・カレ邸(Maison Louis Carré)」です。1959年の完成から60年以上を経た今も、当時の家具と照明をそのままに残す、アアルトがフランスに遺した唯一の現存建築。1996年にはフランスの歴史的記念物に指定され、現在は一般公開されています。

この家を語るとき、多くの人が最初に挙げるのは玄関ホールの天井です。フィンランド産の松材が、波のようにうねりながら、訪れた人を室内の奥へと導いていく。装飾ではなく、天井そのものが人の動きを設計している。

パリの画商が、アアルトに託したもの

施主のルイ・カレは、20世紀パリを代表する画商のひとりでした。妻オルガとともに近代美術とアフリカ美術の優れたコレクションを築き、自らの名を冠したギャラリーを構えていた人物です。

興味深いのは、彼が新しい家を建てる前、パリ16区のル・コルビュジエによる集合住宅に暮らしていたということ。近代建築の最前線をすでに体験していた人物が、次の住まいの設計者としてアルヴァ・アアルトを選んだわけです。

カレがアアルトの存在を知ったのは、1937年のパリ万国博覧会でフィンランド館が高く評価されたことがきっかけでした。やがてふたりは書簡を交わすようになり、ヴェネツィア・ビエンナーレの場で顔を合わせます。カレはフィンランドへ渡ってアアルトの実作を見て回り、1956年にはアアルトが妻エリッサとともにバゾシュの敷地を訪れました。

同じ1956年に建築許可が下り、1957年に着工。カレ夫妻が新しい家に移り住んだのは、1959年6月のことでした。

そして重要なのは、この施主が建築家にほぼ完全な自由を与えたということです。カレがアアルトに伝えた要望は、「バランスこそが唯一にして最大の贅沢である」というひとことに集約されるものでした。

丘の稜線をなぞる、一枚の屋根

敷地は、ゆるやかに南へ下っていく丘の上にあります。

アアルトがまず決めたのは、屋根の勾配でした。ノルマンディー産の青みがかったスレートで葺かれた片流れの大きな屋根は、丘の傾斜とほぼ同じ角度で傾いています。建築が地形に逆らわず、稜線の延長として横たわっている。近づいていくと、家というより、丘の一部が持ち上がったように見えてきます。

建築面積は約450㎡。決して小さな住宅ではありませんが、屋根が景観に溶けているために、外から見たときの威圧感がほとんどありません。

外観を構成するのは、白く塗られた煉瓦の壁と、地元の石灰岩です。この石は、約20km離れたシャルトル大聖堂に使われたものと同じ採石場から切り出されました。フィンランドの建築家がフランスに家を建てるにあたって、その土地が数百年にわたって使い続けてきた石を選ぶ。土地の記憶に対する、静かな敬意が感じられる選択です。

波打つ松の天井が、人を奥へと導く

玄関の扉を開けた瞬間に、この家の主題が現れます。

エントランスホールの天井は、フィンランド産の赤松(レッドパイン)を用いた自由曲面。うねるように波打ちながら、奥へ向かって流れていきます。フィンランドから招かれた大工たちが、現場で組み上げたものです。

この天井が果たしているのは、装飾以上の役割です。天井のうねりは、そのまま人の視線と足の運びを主要な諸室へと導いていきます。廊下や案内表示で動線を指示するのではなく、天井の形そのものが「こちらへどうぞ」と語りかけてくる。アアルトの空間づくりの真骨頂といえる部分です。

ホールには大きな壁面が確保されており、ここはカレのコレクションを掛けるための壁として設計されました。訪れた人はまず絵画に迎えられ、天井に導かれて家の奥へと進んでいくことになります。

段状の天井と、庭に開かれたリビング

ホールから幅の広い階段を下りていくと、リビングルームに到着します。

ここの天井は、ホールの自由曲面とは対照的に、段状に構成された木の天井です。うねる天井から段の天井へ。形式が切り替わることで、来客を迎える場から、腰を落ち着けて過ごす場へと空間の性格が移り変わったことが、自然に理解できます。

そしてリビングには、床から天井まで届く大きな窓。視線はまっすぐ庭へ、そしてその先の丘の風景へと抜けていきます。玄関の閉じた明るさから、階段を下って、開かれた眺望へ。この一連のシークエンスが、ルイ・カレ邸のもっとも豊かな体験です。

リビングには図書室とダイニングが隣接し、この一帯が来客をもてなす「公」のゾーンを形づくっています。

「見せる家」と「暮らす家」を、両立させる

美術品を扱う人物の住まいですから、この家には最初から二重の要求がありました。作品を見せる場であること。そして、家族が日常を送る場であること。

 

アアルトの解答は、明快なゾーニングでした。公的な領域、私的な領域、そしてサービスの領域を分けながら、そのあいだをなだらかにつなぐ。絵画のための壁の背後には3つの寝室とバスルームが配され、屋根が高くなっていく部分に生じた上階には、使用人のための部屋が設けられています。

来客はホールとリビングまでしか入ってこない。けれども寝室へ向かう家族は、いくつもの空間を通り抜けながら少しずつ奥へと進んでいく。

プライバシーが扉の施錠ではなく、空間の連なりによって守られているのです。

そして寝室のエリアには、サウナがあります。フランスの丘の上に建つ家に、フィンランドの生活文化がひっそりと持ち込まれている。この家が単なる「フランスにあるモダニズム住宅」ではないことを、静かに物語る部分です。

ドアノブまで設計された、ひとつの総合芸術

ルイ・カレ邸がヴィラ・マイレアと並べて語られる理由は、その徹底ぶりにあります。

アアルトとエリッサが設計したのは、平面や断面だけではありません。照明、家具、ラグ、テキスタイル、そしてドアノブにいたるまで。さらに門扉、庭、プール、付属屋にまで設計は及んでいます。建物ができてから家具を選んだのではなく、家具もまた建築の一部として最初から構想されていました。

インテリアの実務を担ったのは、アアルトが設立した家具メーカー、アルテックのインテリアオフィス。チーフデザイナーのマイヤ・ヘイキンヘイモが家具の担当にあたりました。

置かれているのは、アームチェア45やX-レッグを用いた家具、アッシュ材のコーヒーテーブル「ピアノ」など。木の弦を成型してつくられた特注の「アームチェア スパゲッティ」も、この家のために生み出されたものです。ラグはエリッサ・アアルトのデザインによるウール製。

照明は、アルテックがこの家のために特別にデザインしたものを含めて16灯。ダイニングには特注のペンダント「A330S ゴールデンベル」が、リビングには「A338 ビルベリー」が吊るされています。私たちが今日カタログで目にする名作照明の多くが、こうした具体的な住宅の、具体的な部屋のために生まれたことを実感できる空間です。

室内に使われた素材の幅広さも見どころのひとつ。フィンランドの松に加えて、オーク、アッシュ、チーク、ビーチ、シカモア、マホガニーといった樹種が使い分けられ、そこに革、ブロンズ、炻器、大理石が組み合わされています。素材の見本市のようでありながら、決して騒がしくならない。「バランスこそ最大の贅沢」という施主の言葉が、ここで実現されています。

マイレア邸から、20年後の到達点として

アアルトの住宅作品といえば、まず名前が挙がるのは1939年にフィンランドのノールマルックに完成したマイレア邸でしょう。実業家夫妻のために設計され、木と白い壁と自由曲面が渾然一体となった、モダニズム住宅の金字塔です。

ルイ・カレ邸は、そこから20年を経て設計されました。芸術に深く関わる施主のために建てられ、建築から家具までを一体で構想し、自然の地形と応答するという主題は共通しています。けれどもルイ・カレ邸には、マイレア邸にあった実験的な緊張感のかわりに、より落ち着いた、細部まで磨き込まれた成熟が感じられます。

フィンランドの森ではなく、フランスの丘。北欧の光ではなく、パリ近郊のやわらかな陽射し。土地が変われば同じ思想がどう翻訳されるのか——そのことを確かめられる点でも、この家はとても貴重な事例です。

参考:北欧デザインの巨匠アルヴァ・アアルトが手掛けた最高傑作と言われる「マイレア邸」

芝生の階段と、樫の木立の野外劇場

アアルトの設計は、外部空間にも及んでいます。

庭には、丘の傾斜を利用した低い芝生のテラス——いわば芝生の階段が刻まれ、住まいから庭へとなだらかに視線が下りていきます。樫の木立のなかには、スレートを用いた野外劇場が設けられました。カレ邸が単なる住宅ではなく、人が集い、催しが開かれる場として構想されていたことがよくわかります。

さらに1961年から63年にかけて、温水プールとプールハウスが増築されました。ガレージは地面に埋め込まれるように配され、門扉や屋外照明、植栽計画にいたるまでアアルトの手が入っています。

住宅の設計とは、家の輪郭の内側だけを扱う仕事ではない。この家は、それを実物で証明しています。

デュシャンも訪れた、社交の舞台として

竣工のお披露目のパーティーには、フランス国内外から350人もの人々が集まりました。

その後もこの家では定期的にパーティーが催され、パリの美術界の重要な社交の舞台となっていきます。訪れた人のなかには、マルセル・デュシャンや、フィンランドのウルホ・ケッコネンといった名前も並びます。

画商の住まいであり、コレクションの展示室であり、そして人が集まるサロンでもある。ルイ・カレ邸は、そうした複数の役割を同時に引き受けるための器として設計されました。天井が人を導き、階段が視線を庭へ開き、庭には劇場がある。この家のあらゆる仕掛けが、人が集まることを前提としていたのだと気づかされます。

ルイ・カレは1977年に世を去り、その後は妻オルガが静かにこの家で暮らし続けました。

歴史的記念物として、未来へ引き継がれる

1996年7月5日、ルイ・カレ邸はフランスの歴史的記念物に指定されました。

そして2006年、この住宅を保存するために設立された「フランス・アルヴァ・アアルト協会(Association Alvar Aalto en France)」が建物を取得。翌2007年から一般に公開されるようになりました。

現在は3月から11月にかけて、土曜と日曜の午後にガイドツアー形式で見学することができます(要予約)。パリのポルト・ドートゥイユから月に一度シャトルバスが運行される期間もあり、公共交通と組み合わせて訪れることも可能です。

住宅は本来、住み手の生活とともに変化し、やがて失われていくものです。竣工時の家具と照明を保ったまま、設計者が意図した空間体験ごと公開されている住宅は、世界的に見ても多くありません。

名作住宅は、細部の連なりでできている

ルイ・カレ邸を語るとき、どうしても波打つ松の天井の写真が象徴として使われます。けれどもこの家の本当の価値は、その一枚の写真には収まりません。

丘の稜線に合わせた屋根の角度、シャルトル大聖堂と同じ採石場から届いた石灰岩、ホールから下りていく階段の幅、うねる天井から段状の天井への切り替わり、部屋ごとに選び分けられた樹種、そのために設計された16灯の照明、そしてドアノブの手ざわり。それらすべてが同じひとつの思想でつながっているからこそ、この家は名作と呼ばれています。

派手な造形で驚かせる建築ではありません。むしろ、写真で見るよりも実際に歩いたときのほうが、はるかに豊かに感じられるタイプの建築です。パリを訪れる機会があれば、少しだけ足を延ばしてみてください。天井に導かれて歩くという体験が、丘の上で待っています。

ルイ・カレ邸 – Maison Louis Carré

公開:3月〜11月の土・日曜 14:00〜18:00(ガイドツアー制・要予約/最終回は17:00開始)
URL:https://www.maisonlouiscarre.fr/mlc/en/
住所:2 chemin du Saint-Sacrement, 78490 Bazoches-sur-Guyonne, France(パリから南西へ約40km)