光を、音楽のように奏でる。ユハ・レイヴィスカによるヘルシンキの「ヴァリラ図書館」。
ヘルシンキ中心部から路面電車で北へ10分ほど。パステルカラーの木造住宅が並ぶ「プー・ヴァリラ(木造ヴァリラ)」と呼ばれる一角に、白い壁の小さな公共建築が立っています。
フィンランドの建築家ユハ・レイヴィスカが設計した「ヴァリラ図書館(Vallilan kirjasto)」です。1991年の完成。地域の分館ですから規模はけっして大きくありません。それでもこの建物は、いまや世界中から建築を目当てに人が訪れる場所になりました。
理由は、ひとえに光です。壁と壁のあいだから射し込んだ日射しが、白い面をなでながら室内の奥へと届き、時刻とともに色を変えていく。建築が光を「取り入れる」のではなく、光そのものを「演奏している」ように感じられる空間。北欧の光の建築家と呼ばれたレイヴィスカが、自身の思想をはじめて完全なかたちで実現した建築を紹介します。
「光の建築家」ユハ・レイヴィスカという人

ユハ・イルマリ・レイヴィスカは1936年生まれ、2023年に87歳で亡くなったフィンランドの建築家です。
ヘルシンキ工科大学を1963年に卒業し、翌1964年に自身の事務所を設立。ヴィルヘルム・ヘランデルとの共同事務所「ヘランデル・レイヴィスカ建築事務所」でも活動を続けました。
代表作の多くは教会建築です。オウルの聖トーマス教会(1975年)、ヴァンターのミュールマキ教会(1984年)、クオピオのメンニスト教会(1992年)。そのほかヘルシンキのドイツ大使館(1993年)なども手がけています。
そして、受けた評価もまた特筆すべきものです。1992年にプロ・フィンランディア勲章、1994年にプリンス・オイゲン勲章、1995年にはカールスバーグ建築賞、2008年にはアントニオ・フェルトリネッリ賞を受賞。2020年には、日照と建築をめぐる世界的な賞である「デイライト・アワード」を受けています。
つまりこの人は、光の扱いにおいて世界的に認められた建築家なのです。ヴァリラ図書館は、その光の思想を体験できる数少ない公共施設のひとつということになります。
建築は、視覚芸術よりも音楽に近い

レイヴィスカを語るとき、必ず引かれる言葉があります。建築は視覚芸術よりも音楽に近い、というものです。
彼はさらに、建物が単体で「建築作品」として立っていることには意味がなく、その意味は周囲の環境や、そこで営まれる生活、そして光との対位法のなかではじめて生まれる、と語っていました。対位法(カウンターポイント)とは、複数の旋律を独立させたまま同時に響かせる音楽の技法のこと。建築を、それ単独の造形ではなく、環境と生活と光が重なり合う「合奏」として捉えていたわけです。

この考え方は、彼の平面図にそのまま表れています。レイヴィスカの建築では、壁が箱をつくるための面ではなく、平行に並べられた独立した板として扱われます。それぞれの壁が少しずつずれながら重なり、そのあいだに隙間が生まれる。この隙間から光が入り、空間には奥行きとリズムが生まれます。
ドイツ・バロックの教会がもっていた光の劇的な扱いと、デ・スティルの構成原理。この二つを統合したところに、レイヴィスカ独自の空間言語があると評されています。
木造の街並みへ、現代建築からの返答

ヴァリラは、20世紀初頭に労働者の住宅地として形成されたエリアです。とりわけ「プー・ヴァリラ」と呼ばれる一帯には、パステルカラーの木造住宅が並び、街区が保護されています。ヘルシンキの中心部にありながら、村のような親密さが残る場所です。
レイヴィスカがこの地区に関わり始めたのは1980年代のこと。都市構造の調査を通じてこの街並みを深く理解したうえで、図書館の設計に取りかかりました。

その結果できあがったのは、街路側にはまっすぐな壁を見せる、慎ましい佇まいの建物でした。木造住宅の連なりに対して、素材も工法も異なる現代建築が、スケールと表情だけをそっと合わせる。派手に自己主張せず、しかし模倣もしない。20世紀初頭の街並みに対する、現代からの静かな返答です。

そしてこの建物は、単独の図書館ではありません。保育園「ルノ(Runo)」と住棟を含む街区型の複合施設として計画され、それぞれの空間が共通の中庭に向かって開いています。
外に向かって開くのではなく、内側の中庭に向かって開く。この「インサイド・アウト」とも呼ばれる構成によって、利用者は街の視線にさらされることなく、守られた風景のなかで本を読むことができます。
自立した壁のあいだから、光が入ってくる

館内に入ると、この建物がなぜ特別なのかがすぐに分かります。
壁は、部屋を囲うための連続した面ではありません。何枚もの独立した壁が、少しずつ角度と位置をずらしながら並べられています。壁と壁のあいだには隙間があり、そこから光が射し込んできます。
しかもレイヴィスカは、光を天窓から真上に落としたり、細いスリットから絞り出したりする方法をあまり採りません。彼が選ぶのは、斜めから射し込ませて垂直面に当てる方法です。光はまず白い壁にぶつかり、そこで反射してから室内へ広がっていきます。

だから、この空間の光には「光源」の感じがありません。どこか一点から照らされているのではなく、空間そのものが内側からほのかに発光しているように見える。デイライト・アワードの評価でも、彼の光は建築空間のなかから生き生きと湧き出てくるようだ、と評されています。

読書という行為にとって、これは理想的な環境です。まぶしさがなく、影が濃くならず、それでいて十分に明るい。本を開いたときに紙面が均質に照らされる、という実用性の面でも、この設計は理にかなっています。
呼吸するように、色が現れては消える

もうひとつ、レイヴィスカの光を特徴づけるのが色の使い方です。
彼は、直接目に入る面ではなく、光が反射する隠れた面に色を仕込みます。壁の裏側や、見上げないと見えない部分に塗られた色が、反射した光に乗って室内に運ばれてくる。私たちが感じるのは、塗られた色そのものではなく、色を帯びた光のほうなのです。

しかもこの色は、固定されていません。太陽の強さや角度が変わるたびに、色は強まり、弱まり、現れ、消えていきます。デイライト・アワードの評価は、この現象を「呼吸するように」と表現しました。

朝と昼と夕方で、まったく違う表情を見せる。同じ席に座っていても、一時間後には空間の印象が変わっている。この時間とともに変化していく感覚こそ、写真では絶対に伝わらない、この図書館の核心です。
天井の高さで、空間を切り分ける

図書館建築といえば、アルヴァ・アアルトの扇形の閲覧室が有名です。床にレベル差を設けて、すり鉢状の読書空間をつくる手法。同じフィンランドの図書館建築として、比較されることも少なくありません。

けれどもレイヴィスカが選んだのは、まったく別のやり方でした。床の高さはほぼ一定に保ち、天井の高さを変えることで空間に変化をつけるのです。

床がフラットなまま、天井だけが上下する。だから空間は視覚的につながったまま、場所ごとの性格だけが変わっていきます。天井が低く抑えられたところは落ち着いた読書の場に、高く持ち上がったところは開放的な広場に。段差がないぶんバリアフリーの面でも有利で、車椅子でもベビーカーでも館内をなめらかに移動できます。

なかでも、館内でもっとも天井が高い中心部は「ピアッツァ(広場)」と呼ばれています。光と開放感がここに集まり、そこから各方向へと図書館の諸室が放射状に広がっていく。地中海の都市文化に憧れを抱いていたというレイヴィスカらしい、街のような構成です。
PHランプに学んだ、まぶしくない照明

北欧の冬は、日照時間が極端に短くなります。ですから光の建築家であることは、同時に人工照明の設計者であることも意味します。
レイヴィスカは、デンマークのポール・ヘニングセンが考案したPHランプの原理に学びながら、アルテックのためにペンダント照明をデザインしました。光源を直接見せず、いくつもの反射面を経由させることでまぶしさを消し、やわらかな光をつくる方式です。彼の手がけた照明は、ロンドンの大英図書館でも使われています。

ヴァリラ図書館にも、この考え方にもとづく特注のペンダント照明が吊るされています。昼は壁で反射した自然光、夜は反射板を経由した人工光。光源を隠して面で照らすという一貫した態度が、昼と夜のあいだに切れ目をつくらないようにしているのです。
レイヴィスカが「はじめて自由を実現できた」建築

興味深いのは、この敷地がレイヴィスカにとって第一希望ではなかったということです。彼自身が最終案を「オプション4F」と呼んでいたことからも、検討の末にたどり着いた条件だったことがうかがえます。
けれども彼は後年、ヴァリラ図書館こそが、建築形態の自由に関する自分の考えをはじめて体現できた建物だった、と語っています。
大聖堂でも美術館でもなく、街かどの分館図書館。予算も規模も限られた小さな公共建築で、ひとりの建築家がそれまで積み上げてきた思想が結晶した。名建築が生まれる場所は、必ずしも華々しいプロジェクトとは限らないのだということを、この事実は教えてくれます。
街の人に愛され、守られてきた図書館

ヴァリラ図書館は、建築ファンだけのための場所ではありません。
館内にはギャラリー「カヤヴァ(Galleria Kajava)」が併設され、地域の作家による展示が毎月入れ替わります。閲覧室やグループワークルーム、児童スペースが整えられ、選挙のときには投票所にもなる。2010年には環境負荷への取り組みとして、フィンランドの図書館で初めてカーボンフットプリントの測定にも取り組みました。

そして2010年1月には「ヴァリラ図書館の友の会(Vallilan Kirjaston Ystävät ry)」が設立されています。この建築を、この場所で使い続けていくために、地域の人たちが自ら組織をつくったわけです。
建築が愛されるとは、こういうことなのだと思います。写真に撮られることではなく、日々使われ、その存続を願う人がいること。ヴァリラ図書館は、その両方を手にした稀な建築です。
小さな建築が、いちばん遠くまで届く
ヴァリラ図書館は、たった一枚の写真で人を惹きつける建築ではないかもしれません。ドラマチックな造形もなければ、圧倒的なスケールもない。白い壁と、木の床と、静かに並ぶ書架があるだけです。
けれども実際にこの空間に座ってみると、時間とともに光が動き、色が現れては消え、空間の印象が変わっていくことに気づきます。建築は環境と生活と光との対位法のなかで意味をもつのだというレイヴィスカの言葉が、体験としてすとんと腑に落ちる瞬間です。
規模の小さな地域図書館が、世界中から人を呼ぶ建築になった。その事実そのものが、建築の価値は面積では測れないということの、いちばん確かな証明なのだと思います。
ヘルシンキを訪れる機会があれば、ぜひトラムに乗ってヴァリラへ。北欧の光がどのように設計されうるのかを、身体で確かめてみてください。
ヴァリラ図書館 – Vallilan kirjasto/Vallila Library
※2026年5月1日から改修工事のため休館中で、再開は2026年10月中旬の予定です。開館時間を含め、訪問前に必ず最新情報をご確認ください。
URL:https://www.helmet.fi/
住所:Päijänteentie 5, 00550 Helsinki, Finland
アクセス:トラム1番・7番の停留所から徒歩圏