円のなかに、円を挿し込む。安藤忠雄がパリに蘇らせた現代美術館「ブルス・ドゥ・コメルス」。
パリ1区、ルーヴル美術館とポンピドゥー・センターのちょうどあいだ。かつて食料品店や青果市場でにぎわった「レ・アール」地区に、円筒形の古い建物が立っています。18世紀に穀物取引所として建てられ、19世紀に商品取引所(ブルス・ドゥ・コメルス)へと姿を変えた歴史的建造物です。
2021年5月、この建物は現代美術館「ブルス・ドゥ・コメルス-ピノー・コレクション(Bourse de Commerce – Pinault Collection)」として生まれ変わりました。改修設計を手がけたのは、日本の建築家・安藤忠雄です。
やったことは、驚くほどシンプルでした。円形の建物の内側に、コンクリートの円筒をもうひとつ挿し込む。ただそれだけです。けれどもその一手によって、250年分の記憶を抱えた建築は、現代美術のための空間へと鮮やかに更新されました。円のなかに円を置くという最小限の操作が、なぜこれほどの効果を生むのか。パリで最も刺激的な現代美術館のひとつを、細部からたどっていきます。
450年分の記憶が積み重なった敷地

この建築を理解するには、まず敷地の歴史から始める必要があります。ここには、パリの都市史がそのまま堆積しているからです。
始まりは16世紀。フランス王アンリ2世の妃カトリーヌ・ド・メディシスが、1574年からこの地に「オテル・ド・スワソン」という館を築きました。1575年には、建築家ジャン・ビュランの手による高さ約28mの円柱が建てられます。147段の螺旋階段を昇った先には観測台があり、占星術に傾倒したカトリーヌが占星術師コジモ・ルッジェーリのために設けたものと伝えられています。

館そのものは1748年に取り壊されましたが、この「メディチの円柱」だけは破壊を免れ、今も建物の外壁に寄り添うように残っています。450年前の塔が現代美術館の壁に接している——それだけで、この場所の特異さが伝わってくるはずです。

その跡地に1763年から67年にかけて建てられたのが、ニコラ・ル・カミュ・ド・メジエールによる円形の穀物取引所「アール・オ・ブレ」でした。中央に円形の中庭をもつこの平面構成は、以後の度重なる改修を越えて、現在まで受け継がれています。
木のドーム、鉄のドーム、そしてガラスのドームへ

円形の中庭には、やがて屋根が架けられます。しかもこのドームは、3度つくり直されているのです。
最初のドームは1782年から83年にかけて、ジャック=ギヨーム・ルグランとジャック・モリノスが木造で架けたもの。フィリベール・ドロルムの工法に基づく先進的な構造でしたが、1802年の火災で焼失してしまいます。

続いて1811年、フランソワ=ジョゼフ・ベランジェが鉄骨に銅板を張ったドームを架けました。金属製ドームの先駆けとして建築史に残る試みですが、ヴィクトル・ユゴーは『ノートル=ダム・ド・パリ』のなかで、これを「巨大なイギリスの騎手帽」と評しています。
そして1888年から89年、アンリ・ブロンデルによる大改修が行われます。25の開口をもつ円形の構成と18世紀の双階段は残しつつ、ドームはガラスへと置き換えられました。竣工した1889年は、エッフェル塔が完成したパリ万博の年。鉄とガラスの時代の空気を、この建物もまた吸い込んでいたわけです。
頭上に広がる、1,400㎡の巨大なフレスコ画

1889年の改修で、ドームの下部には壮大な装飾画が描かれました。それが「パノラマ・デュ・コメルス(商業のパノラマ)」です。
全長140m、高さ10m、面積にして約1,400㎡。5人の画家が分担して制作にあたりました。エヴァリスト=ヴィタル・リュミネが南北アメリカを、デジレ=フランソワ・ロジェがロシアと北方を、ジョルジュ=ヴィクトル・クレランがアジアとアフリカを、イポリット・リュカがヨーロッパを描き、アレクシ・マズロールが全体を統括しました。

大航海と交易の時代にフランスが世界と結んだ関係を、五大陸の寓意として360度ぐるりと描き切った作品です。もちろん、そこに描かれているのは今日の視点から見ればきわめてヨーロッパ中心的な世界像でもあります。だからこそ、これは19世紀ヨーロッパの世界観を封じ込めたタイムカプセルとして、現代美術と向き合わせる価値をもっています。
このフレスコ画とドームは、1975年に歴史的記念物に指定されました。改修にあたっては24名の修復家が6つのチームに分かれ、堆積した汚れ、剥落しやすい絵具、紫外線で変色した過去の補彩などに対処しながら、洗浄・修復・調和という三段階の工程を踏んでいます。
直径29m、高さ9m。安藤忠雄による挿し込まれたコンクリートの円筒

そして安藤忠雄の設計です。
この歴史的建造物の内部、円形の大空間の中央に、コンクリートの円筒が据えられました。直径は約29m(30mとする資料もあります)、高さは9m。既存の円形空間の内側に、寸法をわずかに小さくした同心円をもうひとつ挿し込む——これがプロジェクトの核心です。

円筒の内側は、天井のない円形の展示室になります。ドームからの光がそのまま降りそそぐ、静かで求心的な空間です。一方、円筒の外側と既存の壁とのあいだには、幅の狭い環状の隙間が生まれます。ここが「パッサージュ」と呼ばれる回遊路になり、鑑賞者は新旧ふたつの壁に挟まれながら建物を一周することになります。
新しいものと古いものを対峙させるのではなく、重ね合わせる。安藤忠雄自身が語っているのも、ロトンダと円筒、古いものと新しいものを層のように重ねるという考え方です。既存の建築を消し去るのではなく、そこに一手だけ強い現代の手つきを加えて対話させる。ヴェネツィアのプンタ・デラ・ドガーナ以来、安藤が歴史的建造物の改修で一貫して取ってきた方法が、ここでは最も明快な幾何学として結実しています。
863枚のパネルと、埋められないセパ穴

この円筒の壁は、863枚のコンクリートパネルによって構成されています。パネルの比例は、日本の畳の寸法にもとづいて決められました。パリの円形建築の中心に、日本の尺度が静かに埋め込まれているわけです。
そして特徴的なのが、型枠を締めていたセパレーターの穴が、埋められずにそのまま残されていること。通常は施工後に埋めてしまうこの小さな穴を、安藤忠雄は建築の成り立ちを語る痕跡としてあえて見せます。規則正しく並ぶ穴とパネルの目地が、なめらかなコンクリート面にリズムを与え、時刻とともに移ろう光を受けて、壁の表情を刻々と変えていきます。
つるりとした「打ち放しコンクリート」が、じつは緻密な割付の集積であることが、この壁を間近で見ると実感できるはずです。
光が宿って、はじめて建築は完成する

ドームの頂部は、床から約40mの高さにあります。約2,100㎡のガラス屋根は改修時に断熱性能の高いガラスへと更新され、そこから落ちてくる自然光が、館内の時間を支配しています。
建築は光が宿ってはじめて完成する。安藤忠雄が繰り返し語ってきたこの考えは、光の教会や地中美術館など、これまでの作品を貫いてきたものです。ブルス・ドゥ・コメルスでは、その光が19世紀のガラスドームを通して降りてきて、21世紀のコンクリートの壁を照らす。ふたつの時代の素材が、光を媒介にして結び直されています。
朝の白い光、午後の斜めに差し込む光、曇天のやわらかな拡散光。同じ展示を見ていても、時間帯によってまるで印象が変わります。この美術館を訪れるなら、できれば時間に余裕をもって、光が動くのを待つように過ごしてほしいと思います。
円筒の上を歩き、フレスコ画に近づく
コンクリートの円筒がもたらした恩恵は、展示室だけではありません。
高さ9mの壁の上端には、環状の歩廊が設けられています。ここを歩くと、これまで遥か頭上にあった1,400㎡のフレスコ画に、かつてないほど近づくことができるのです。19世紀の人々でさえ、この距離で商業のパノラマを見ることはできませんでした。
さらに円筒の外側には、コンクリートの階段が壁沿いに巻き上がっていきます。展示室は複数の階層に分かれており、鑑賞者は昇り降りしながら、円筒の内と外、新と旧のあいだを行き来することになります。パッサージュには24のヴィトリーヌ(ガラスケース)が並び、ここも展示の舞台として使われています。
作品を見て、建築を見て、また作品に戻る。この往復こそが、ブルス・ドゥ・コメルスならではの鑑賞体験です。
「取り外せる」ように設計するという倫理

見落とされがちですが、この改修でとりわけ重要なのが、可逆性という考え方です。
パリ市は2016年、フランソワ・ピノーに対してこの建物の50年の賃借契約を提案しました。つまりこの美術館は、あくまで期限つきで歴史的建造物を借り受けている状態にあります。そこで安藤忠雄のコンクリートの円筒は、理論上は契約期間の満了時に撤去でき、歴史的建造物に痕跡を残さない設計とされました。

現代美術を展示するために床の耐荷重は1㎡あたり250kgから700kgへと補強され、1階の鋳鉄柱はヴァル=ドワーズの鋳造所で伝統的な技法によって修復されています。歴史的建造物への介入としては相当に大胆でありながら、その大胆さは「いつでも元に戻せる」という前提の上に成立しているのです。

強い意志を示しつつ、歴史に対しては引き下がる余地を残しておく。これは改修建築のひとつの理想形といえるかもしれません。
ピノーと安藤忠雄、20年越しのプロジェクト

この美術館の背景には、実業家フランソワ・ピノーと安藤忠雄の長い関係があります。
ふたりが最初に組んだのは、パリ郊外ブローニュ=ビヤンクールのセガン島に美術館を建てる計画でした。しかし政治的な支持を得られず、この計画は頓挫します。ピノーはフランスを離れ、ヴェネツィアへと向かいました。

そこで実現したのが、パラッツォ・グラッシ(2006年)とプンタ・デラ・ドガーナ(2009年)です。いずれも安藤忠雄が改修を担当し、歴史的建造物に現代の幾何学を挿入するという手法が磨かれていきました。とりわけプンタ・デラ・ドガーナの、17世紀の税関倉庫にコンクリートの箱を差し込んだ改修は、ブルス・ドゥ・コメルスの直接の前身といえるものです。
そして2016年、パリ市からの提案によって計画は故郷へと帰ってきます。2017年6月に着工し、2021年5月22日に開館。総工費は約2億ドル規模と報じられました。総面積は約10,500㎡、うち展示面積は約3,000㎡です。
セガン島での挫折から20年近く。ピノーの美術館はパリの中心に、しかも都市の記憶が幾重にも堆積した場所に実現しました。
建築を味わうための、もうひとつの過ごし方

館内には、展示室のほかにも見どころがあります。
地下には284席のオーディトリアムが設けられ、コンクリートのホワイエに囲まれた空間で講演や上映、パフォーマンスが行われます。映像インスタレーションのためのブラックボックスも備えられており、多様な表現形式に対応できる構成です。

家具やサインまわりを手がけたのは、フランスのデザイナーであるロナン&エルワン・ブルレック兄弟。館内には彼らが手がけた椅子やベンチが置かれ、全長17mにおよぶ大型のシャンデリアも制作されています。硬質なコンクリートの空間に、繊細で人の身体に寄り添うデザインが添えられているバランスが絶妙です。
そして最上階には、ミシュランの星を持つミシェル&セバスチャン・ブラ親子によるレストラン「ラール・オ・グラン(La Halle aux Grains)」。かつて穀物取引所だった建物にちなみ、世界中の穀物を主題にした料理が供されます。窓の外にはパリの街並みが広がり、建築と食が地続きになった時間を過ごすことができます。
円がひとつ増えただけで、建築は生まれ変わる
ブルス・ドゥ・コメルスがすばらしいのは、改修の操作が誰にでも理解できるほど明快だからです。円形の建物のなかに、円筒をひとつ置く。図式としては、子どもでも描けるくらい単純です。
けれどもその単純な図式が、直径29mという寸法、9mという高さ、863枚のパネル割り、埋められないセパ穴、歩廊の位置といった無数の判断によって支えられていることを、実際にこの場所に立つと理解できます。単純であることと、簡単であることは、まったく違うのです。
18世紀の穀物取引所、19世紀のガラスドームとフレスコ画、21世紀のコンクリート。三つの時代がひとつの円のなかに同居し、それぞれが互いを引き立てあっている。歴史的建造物をどう現代へ引き継ぐのかという問いに対して、これほど鮮やかな回答はそう多くありません。
パリを訪れる機会があれば、ぜひ足を運んでみてください。ルーヴルからもポンピドゥーからも歩いていける距離に、まったく別の時間が流れる円い空間が待っています。
ブルス・ドゥ・コメルス-ピノー・コレクション(Bourse de Commerce – Pinault Collection)
開館時間:11:00〜19:00(金曜は21:00まで)
休館日:火曜日
URL:https://www.pinaultcollection.com/en/boursedecommerce
住所:2 rue de Viarmes, 75001 Paris, France
アクセス:メトロ Louvre-Rivoli/Les Halles/Châtelet、RER Châtelet-Les Halles