絵描きとして活躍中「銭湯図解」の著者、塩谷歩波さんのこれまでの生き様と今後の目標

高円寺小杉湯の番頭を経て、現在は絵描きとして活躍中の塩谷歩波(えんや ほなみ)さん。銭湯イラスト集「銭湯図解」の著者でもある、塩谷さんに、銭湯図解のこと、小杉湯のこと、また絵描きとして新たにスタートしたこと、様々なテーマでお話を伺った。

大切にしているデザイン・好きな場所

はじめに、塩谷さんが暮らしの中で大切にしているデザインを伺った。

「最近引っ越した家が“レトロ”と“クラシカル”をテーマにしています。できるだけ新しいものというよりかは、古道具や色々な人に使われてきたものをできるだけ集めて、手垢がついたような暮らしを大事にしているかなと思います。」

そして、塩谷さんの好きな場所や空間は、やっぱり銭湯。「お家ももちろん大好きだけど、やっぱり銭湯が好きですね。知らない人とでも裸でゆっくり同じ場所にいられる空間が落ち着くなと思いますね。」

「銭湯図解」始まりは、体調不良

中央公論新社「銭湯図解」より

そして、塩谷さんといえば「銭湯図解」。そもそも銭湯図解・イラストを描くきっかけは、なんだったのだろうか?

「設計事務所で働いていた時に体調を崩して、その時に大学の先輩に連れてたまたま行ったのが銭湯でした。その銭湯が昼間に行くと本当に気持ち良くて、心も身体もだいぶ疲れてしまっていたのが、疲れが吹っ飛ぶような素敵な体験だったんです。それが、あまりによくて銭湯自体がすごく好きになって、銭湯のことを色々な人に伝えたいなと思い、なんとなくで描いたのがイラストでした。」

また、銭湯図解は、建築を俯瞰で見ることができる図法「アイソメトリック」で描かれている。

「“アイソメトリック”は、大学1年生で学ぶような簡単な描き方ですが、ある程度建築のこと知っていないと、描けない描き方ですね。だからこそこの描き方は自分らしいなと思っています。」と、この辺りが建築を勉強した強みであると教えてくれた。

自分の感情に寄り添う書き方

塩谷さんといえば、「泣きに行く銭湯」や「お腹がすいた銭湯」など、独特な紹介の仕方で人々の興味をそそっている。どのあたりからインスピレーションが湧くのであろうか?

「ちょうど、本を出したのが2011年でした。当時の銭湯の紹介は、“昭和何年に設立された〜”や、“お風呂の特徴”など、結構ハードよりの銭湯の紹介の仕方だったんです。建物自体も好きだけど、銭湯に行き、こういう気持ちになりたいと思って、私自身その時行く銭湯を決めていたので、ハードよりかは、ソフトな面で紹介できないかなと思って、できるだけ自分の感情に寄り添う書き方をしました。」

原点に戻った、小杉湯への転職

Via : @enyahonami / photo:アベトモユキ

設計事務所から小杉湯に転職した、塩谷さん。思い切った決断だったと思うが、この決定打は、なんだったのだろう。

「体調が少し戻ってきた時でした。設計事務所に転職をしたのですが、建築業会の忙しさに身体がついていかなくて、どうしたものだと思っていた時に、小杉湯さんから“うちの銭湯も描いて欲しい”と依頼をいただきました。」

その時に、店主さんに、建築業界の現状や、自分の状況を愚痴のように相談したという。

「そうしたら、“うちで働けば?”と言われたんです。最初は、設計をずっとやっていたので驚きましたが、元々私が設計を志したのは、インテリアコーディネーターのお母さんと一緒に建物の絵を描いたのが楽しくて設計に進んだんです。だから元を辿ると、建築の絵を書くことが原動力だったので、原点に戻ったんだなと思い、勇気を出して飛びこみました。」

小杉湯を退職し、絵描きとして勝負に出た大きな決断

Via : @enyahonami

その後、情熱大陸にも出演したり、人気に拍車がかかり、“銭湯=塩谷さん”のイメージが世間的についていた頃。塩谷さんは、またそこから脱却し、小杉湯を退職し、絵描きとしてスタートをさせた。この時の気持ちやきっかけについて伺うと、「だいぶ大きな決断でした。銭湯も好きで、声をかけていただいた恩もあり、だけど絵を描きたいう気持ちもあり日々悩んでいました。その時にまた体調を崩してしまったんです。」

体調を崩して休んでいても、絵を描いており、この時に「どんな時でも私は、絵を描いていないといけないんだな。」と思ったそうだ。

「体調を崩すぐらいだったら、自分の心に正直になろうと思って画家になると決めました。銭湯で働きながら銭湯って楽しいなと思っていたけど、自分が一番やりたくて、体を張るのは絵を描くことだと気づいたんです。」と、絵描きとして勝負に出た塩谷さん。

お気に入りの銭湯

Via : @enyahonami

数多くの銭湯に足を運んでいる塩谷さん。その中で、お気に入りの銭湯について伺った。

「難しい質問ですね。逆にありすぎるので決められないというものがありますが、“銭湯に連れて行ってほしい”と言われると、ほとんど小杉湯に連れて行っています。昭和8年にできた小杉湯は、立派な外観で、その時期は、門構えを神社のようにすることが銭湯業界で流行っていたんです。それらを守り続けていたというのが素晴らしいなと思います。小杉湯は古い外観でありながら、若い人が切り盛りして、色々なイベントをやっているので、銭湯の古さも楽しめるし、銭湯の今のカルチャーも楽しめるのでお得なんですよ」

温かい気持ちで見守った「湯あがりスケッチ」

塩谷さんの人生をドラマ化した、オリジナルドラマ「湯あがりスケッチ」

自分の人生がドラマ化されるということで、話が来たときは、飛び上がるほど嬉しかったという。

ドラマの感想についてこう語った。「同じようなストーリーラインで設計事務所から銭湯の番頭にというドラマですが、最後の終わり方が自分とは違うものがありました。やっぱりそこがフィクションなんだと思いつつ、もう一人の自分だったらこういう決断をしたんだなと温かい気持ちで見守っていました。自分のようでいて、自分ではない。それが面白いなとドラマを見て思いました。」

“好き”を仕事にするということ

写真 三浦えり

塩谷さんのように、自分の“好き”の仕事にしたいが、中々思い切って行動ができない人も多いだろう。そこで、塩谷さんに“好きなことを仕事にする”ことについて聞いてみた。

「私も自分の好きなことを追求したらこうなったわけではないんです。最初は自分が好きだと思うことを追求してもうまくいかないことはいっぱいあると思います。私も挫折をしまくって一回逃げて、建築に行ったりだとか、違うところに行ったりだとか…。でもどうしても“やりたい”というものを貫き通しましたね。そう簡単にはうまくいかないんだけど、やはり自分の中に芯を持っていることは、それ自体が強みになるんではないかと思います。」

また塩谷さんの今後の夢について、「色々な建物を図解したい気持ちは強いです。今は日本の依頼が大半ですが、本当は海外なども描いてみたいと思っています。例えば寺社仏閣だとか、教会みたいな大変な建物も描きたいですね」と、新たな目標を教えてくれた。

LIFE IS “煙のようなもの”

インタビューの最後、塩谷さんに「Life is ◯◯」空欄に当てはまる言葉を尋ねると「Life is 煙のようなもの」と答え、

「実態がない、大きく膨れ上がったり、小さくなったりするイメージ…。全てが上手くいくわけでもないし、上手く行くときもあったりとしますよね。大きく膨れ上がったり、小さくなったりする煙を見ると、なんか近いものは感じます。流れに身を任せるのが楽しいなと思っています。」

と話し、インタビューを終えた。

様々な経験・決断を繰り返してきた塩谷さんならではの言葉には、優しさと強さがたっぷりと詰まっていた。