ミラノの街に開く。SANAAによる「ボッコーニ大学・新キャンパス」とグラフトン・アーキテクツによる「経済学部棟」

イタリア・ミラノ、ポルタ・ロマーナからナヴィリオにかけての一帯に、ヨーロッパ屈指の経済系大学として知られるルイージ・ボッコーニ商業大学のキャンパスが広がっています。

その南端、かつてミラノ市営の牛乳工場「チェントラーレ・デル・ラッテ」があった敷地に、2019年、まったく新しい風景が現れました。設計は、妹島和世と西沢立衛によるSANAA。ゆるやかに湾曲したガラスの壁が、うねる金属メッシュのヴェールをまとって立ち並ぶ、これまでの大学キャンパスのイメージを覆すような建築群です。

しかもこのキャンパスの手前には、2008年にグラフトン・アーキテクツが完成させた重厚な経済学部棟が建っています。石の塊のような建築と、消えていくような白い建築の2つが共存しています。

SANAAが提案したのびのびとした新キャンパス

SANAAがこの計画を手にしたのは、2012年の国際設計競技でした。

対象となったのは、ミラノ市の牛乳工場「チェントラーレ・デル・ラッテ」の跡地、約35,000㎡。既存のキャンパスの南に隣接する、都市のなかの貴重なまとまった土地です。

SANAAが提案したのは、この敷地を建物で埋め尽くさないという方針でした。建物が占めるのはおよそ半分。残る約17,000㎡は公園と屋外空間として、大学関係者だけでなく一般の市民にも開かれた場所になりました。

大学のキャンパスといえば、多くの場合、塀や門によって街から切り離された領域です。けれどもこの計画では、街の側からキャンパスへと歩いて入っていくことができます。都市に閉じた学園ではなく、都市に染み出していく学園。それが新キャンパスの基本的な姿勢です。

湾曲したガラスと、うねる金属メッシュ

SANAAが並べたのは、角のない、ゆるやかな曲線でできた建物でした。平面はどこも柔らかく湾曲し、四角い箱としての輪郭をもちません。ガラス張りの低層部は透明で、建物の内と外の境目が視覚的にほとんど消えています。

その上に重ねられているのが、うねるような金属メッシュのスクリーンです。半透明のヴェールが建物をぐるりと包み、外からは内部の気配がぼんやりと透けて見える。

このスクリーンには、いくつもの役割があります。強い日射しをやわらげ、熱負荷を抑え、それでいて自然光と風を通す。同時に、建物の輪郭を曖昧にして、白く発光するような外観を生み出します。透明にするのでも、閉じるのでもなく、その中間の状態をつくる。SANAAらしい繊細な操作です。

見る角度や時間によって、建物は透けたり、白く霞んだり、光を反射したりします。街に対して圧をかけない、けれども確かにそこにある。「消えていく建築」と評されるSANAAの手法が、都市のスケールで展開されています。

ミラノの中庭とポルティコを、現代に読み替える

一方でこの計画は、けっしてミラノの文脈を無視した宇宙船のような建築ではありません。

ミラノの伝統的な建築には、パラッツォの中庭(コルティーレ)と、街路に沿って続くポルティコ(柱廊)という要素があります。閉じた街区の内側に静かな庭があり、その周りを屋根つきの回廊がめぐる。修道院の回廊にも通じる、この街の空間文化です。

SANAAは、この二つを新キャンパスに翻訳しました。建物と建物のあいだにはいくつもの中庭が生まれ、地上階には柱の並ぶポルティコがめぐらされています。雨の日でも濡れずに移動でき、木陰で立ち話ができ、腰を下ろして本を読める。歴史的な形式をそのまま模倣するのではなく、その機能と体験だけを現代の素材に置き換えているのです。

曲線でできた白いガラスの建築でありながら、歩いてみるとどこかミラノらしい。この二重性が、新キャンパスのいちばんの魅力かもしれません。

4つの建物が、それぞれの役割を担う

新キャンパスは、大きく4つの建物群で構成されています。

中心となるのは、大学院ビジネススクール「SDAボッコーニ」の新拠点です。マスター、エグゼクティブ、オフィスという3つの棟が、それぞれゆるやかにつながりながら配置されています。教室、研究室、事務機能が分節されつつ、全体としてはひとつの街区のように振る舞う構成です。

もうひとつが、300床を備える学生寮「カスティリオーニ・レジデンス」。2018年9月から先行して運用が始まりました。

そしてスポーツセンター。ここが、このキャンパスでもっとも街に開かれた部分です。

市民も使える、オリンピックサイズのプール

スポーツセンターには、2つのプール、フィットネスエリア、バスケットボールとバレーボールのコートを備えたアリーナ、そして屋内ランニングトラックが整備されています。

なかでも話題になったのが、オリンピックサイズの競泳プールです。ミラノ市内にこの規格のプールが整備されたのは、これが初めてのことでした。しかもこの施設は、大学の学生や教職員だけのものではなく、市民にも開かれています。

大学が自らの敷地に、街全体が使えるスポーツ施設をつくる。周囲の住民にとって新キャンパスは、「大学が来た」というより「プールと公園ができた」という出来事だったかもしれません。建築の開放性が、ガラスの透明さだけでなく、施設の使われ方のレベルでも実現されているわけです。

公園は約17,000㎡。芝生と樹木のあいだをポルティコが縫うように延び、キャンパスと街をなだらかにつないでいます。

環境への配慮も、設計の一部として

新キャンパスでは、環境性能にも力が注がれています。

屋根には太陽光発電パネルが設置され、エネルギーの自給に寄与しています。外周を覆う金属メッシュは日射をコントロールし、湾曲したガラス面は自然採光と自然換気を最大化するように計画されました。加えて、雨水や水まわりの制御、透明なファサードの遮蔽性能を調整する技術も導入されています。

透明であることと、省エネルギーであることは、本来なかなか両立しません。その難題に対して、メッシュのヴェールという一手で応えているところが、この建築のうまさです。

石の塊のような、もうひとつの名作

さて、ここでもう一棟。SANAAの新キャンパスから北へ歩いてすぐの場所に立つ、グラフトン・アーキテクツによる経済学部棟(ロエントゲン棟)についても触れておきたいと思います。

設計者は、ダブリンを拠点とするイヴォンヌ・ファレルとシェリー・マクナマラ。2001年に開催されたコンペで勝利し、2008年に完成しました。延床面積は約65,000㎡におよぶ大規模な建築です。

構成は明快に三層構造です。地下3層には1,000席のアウラ・マーニャ(大講堂)と2,500㎡のホワイエ、展示ホールが収められています。地上階は街と大学のあいだの「フィルター」として計画された公共的な領域。そしてその上に、5層のオフィスブロックが15棟、蜂の巣のように積み上げられ、そのあいだには9つの中庭が挿し込まれています。研究室の数は731室にのぼります。

外装に使われたのは、チェッポ・ディ・グレと呼ばれる灰色の石。ミラノの伝統建築で長く用いられてきた素材です。石の塊を彫り込んで空間を掘り出したかのような、圧倒的な量塊感。中庭が採光と通風を担い、すべての研究室が外部に面する窓をもつという合理性も、その重厚な外観の内側にきちんと収められています。

この建築は2008年、世界建築フェスティバル(WAF)で「ワールド・ビルディング・オブ・ザ・イヤー」に選出されました。ファレルとマクナマラはその後、2020年にプリツカー賞を受賞します。ボッコーニの経済学部棟は、彼女たちの評価を決定づけた作品として、いまも語り継がれています。

重さと軽さ、二つの解答が同居する

同じ大学のキャンパスに、これほど対照的な建築が並んでいることは、ちょっと奇跡的だと思います。

グラフトンの経済学部棟は、石という重い素材で、光を彫り込むようにして空間をつくりました。SANAAの新キャンパスは、ガラスとメッシュという軽い素材で、光を通しながら輪郭を消していきました。

重さと軽さ。掘るとつくる。閉じることで生まれる強さと、開くことで生まれる柔らかさ。どちらが正しいという話ではありません。都市のなかに大学という場所をつくるにあたって、まったく別のアプローチが同時に成立しうるということを、この2棟は並んで証明しています。

ミラノを訪れる建築好きの方には、ぜひこの2つを続けて歩いてみてほしいと思います。ヴィア・ロエントゲンの石の壁を見上げてから、南へ歩いて白いメッシュのキャンパスへ。20分ほどの散歩のあいだに、現代建築が抱えている問いのかなりの部分に出会えるはずです。

段階的に、街へと開かれていった

新キャンパスは、一斉に開業したわけではありません。

まず2018年9月に学生寮が運用を開始。2019年11月29日には、セルジョ・マッタレッラ大統領も出席して開所式が行われました。そして2020年1月にスポーツセンターと緑地が開かれ、キャンパス全体が使えるようになったのは2020年春のことです。

計画から数えれば、2012年のコンペから8年をかけた長い道のりでした。都市のなかに新しい公共空間をつくるという仕事は、これだけの時間を要するものなのだということが、この経緯からも伝わってきます。

大学は、街に開くことができる

ボッコーニの新キャンパスがすばらしいのは、建築の造形だけが理由ではありません。

敷地の半分を公園として街に返し、市民が泳げるプールをつくり、雨に濡れずに歩けるポルティコを通した。大学という閉じられがちな施設が、これほどまでに街の側を向いてつくられた例は、そう多くありません。

角のない白い建築は、その姿勢の表れでもあります。角がないということは、正面と背面の区別がないということ。どこから近づいても、この建築は等しく受け止めてくれます。

かつて牛乳工場だった土地が、学生と市民が行き交う場所に変わりました。都市のなかで新しい公共をつくるとはどういうことなのか。ミラノの南で、その答えのひとつを見ることができます。

ルイージ・ボッコーニ商業大学

住所:Via Roberto Sarfatti, 25, 20136 Milano MI, イタリア