
8\2LAB(はちとに らぼ)・川島光太郎さん「残された素晴らしい文化や伝統工芸を多くの人に伝えていきたい」
佐賀県唐津市で文化体験ツーリズムプロジェクトを主催している川島光太郎さん。
今回は、川島光太郎さんの暮らしの中で大切にされているデザインやお好きな空間などさまざまな角度からお話を伺いました。
8\2(はちとに)合同会社、代表社員の川島光太郎さん
8\2(はちとに)合同会社を設立した川島光太郎さんは、東京出身。イギリス・ロンドンへの留学を経て、2010年には拠点を東京から福岡へと移し、その後は九州を中心に活動。2023年に佐賀県唐津市へ移住し、唐津の文化を体験するツーリズムプロジェクトを展開している。
唐津を選んだきっかけや理由は?

「妻が福岡出身のため、福岡へ移住することになったことがきっかけです。そこで、近隣である佐賀にも足を運ぶようになりました。
そこで訪れるうちに現地での仕事やご縁が広がり、移住することにしました。」
暮らしの中で大切にしているデザインは?

川島さんが暮らしの中で大切にされているデザインについて伺いました。
「個人的には、自分に合うデザインを重視しています。ただ見た目が美しいだけでなく、実際に手に取り、使ってみて心地よいと感じられること。
例えば、座ってリラックスできる椅子や、握ってしっくりくる包丁など、デザインのためのデザインではなく、使いやすさや機能性がそのまま美しさにつながるような、暮らしに根ざしたデザインが理想です。」
好きな場所や空間は?

川島さんがお好きな場所や空間はどこでしょうか?
「好きな場所は3つあります。1つ目は、小田原にある、杉本博司氏が手がけた『江之浦測候所』です。2つ目は、石川県金沢市にある『鈴木大拙館』です。3つ目は、佐賀県唐津市にある『名護屋城』です。
この3つの場所へ行くと、気の流れがや空気感が良いので定期的に行っています。」
どんな活動をしている?

川島さんのはデザインの手前、土壌作りのイメージですが具体的にどのような活動をしているのかお聞きしました。
「唐津で合同会社を作りましたが、メインでやっているのは今年オープンしたツーリズムです。
唐津は、焼き物の原料となる良質な土が豊富な土地。かつて豊臣秀吉が名護屋城を築いた際、唐津焼の技術が全国に広がり、日本の焼き物文化の始まりとも言われる重要な拠点でした。この地域では、他産地のような石が取れない代わりに、粘りのある土を使った技法が発展し、そこから独自の焼き物文化が育まれています。
そのような地域固有の素材や背景に光を当てながら、伝統と現代をつなぐ活動をしています。」
8\2(はちとに)のネーミングの由来は?

会社名の由来についてお聞きしました。
「唐津焼には、作り手だけでなく使い手が育てていくという概念があり、その質を『作り手8:使い手2』という割合で表します。これは、器は完成して終わりではなく、使い手の手に渡ってからこそ本当の魅力が育つという思想です。
例えば、茶碗や湯呑みのように、使う人の工夫や愛着によって、器の表情や価値は日々変わっていきます。そのような『使われることで完成していく』ものづくりへの共感から、この名前が生まれました。
また、数字の間にある『\』(スラッシュ)には、伝統的なものだけでなくそこから作り上げていく新しいものという意味を込めて取り入れました。」
唐津の1番好きな所や魅力は?

「唐津は、空襲を受けなかった地域であることから、築100年以上の古民家や、300年続くお茶屋など、長い歴史を感じられる建物や営みが今もなお残されています。
一方で、海ではイルカと出会えることもあるほど自然との距離が近く、文化的な深みと自然の豊かさが日常の中で共存しているのが、唐津という土地の大きな魅力です。
さらに、福岡からの程よい距離感も、暮らしやすさのひとつです。都市とのアクセスの良さと、ゆったりと流れる唐津らしい時間。自然と文化、すべてのバランスがいいです。」
唐津の文化を体験するツーリズムプロジェクトはどんなもの?

「焼き物づくりの工程を一から体験でき、具体的には成形や釉薬掛けだけでなく、山に入り土を掘るところから実施します。
原材料から関われる、この取り組みは、ものづくりの本質に触れられる機会として、特に海外のゲストに好評です。ヨーロッパからの参加者も多く、唐津焼の奥深さや、自然と結びついた土地の魅力、唐津の歴史についてを感じられます。」
川島さんが影響を受けたヒト・モノ・コトは?

「これまで、国内外さまざまな場所で出会いや経験を重ねてきました。これにより、自分に合った場所を探し出せました。
影響を受けてきた方は多くいます。その中の出会いで唐津に訪れてきてくれることや唐津のよさを伝えてくれるありがたさを実感しています。」
川島さんの今後のビジョンは?

「日本は、行動成長期を経て産業が衰退しつつある現状に危機感を持ちつつも、全国にはまだまだ素晴らしい文化や伝統工芸が数多く残されています。そうした価値あるものを、これからも広く国内外に向けて引き続き多くの人に伝えていきたいです。」
川島さんはプロダクトデザインをされてご自身で唐津焼を作りたいですか?
「デザインをマネージ、プロデュースする側なので私自身は作りたいとかはないです。企画や内装工事など手を動かすのが好きですね。」
LIFE IS 「ジャーニー」
インタビューの最後、川島さんに「Life is ◯◯」空欄に当てはまる言葉を尋ねると、「Life is ジャーニー」と答えてくれました。
「これまで国内外のさまざまな場所を旅し、暮らしてきました。拠点生活を変えていくことで次のステップにいけます。 最終的には、70歳くらいになったら島に移り住んで、のんびりと暮らしたいです。」
8\2(はちとに)合同会社、代表社員の川島光太郎さん
川島光太郎さんは、東京・ロンドン・福岡、そして唐津と、国内外を旅するように拠点を移してきました。現在は、佐賀県唐津市を拠点に、地域の文化や素材に光を当てるツーリズム事業を通じて、伝統と現代をつなぐ取り組みを実践されています。
人生を旅と捉える川島さん。変化を恐れず、次のステージへとしなやかに歩み続ける姿は、これからの時代をしなやかに歩むヒントを与えてくれます。
これからも、日本各地に眠る文化や伝統の魅力を再発見し、国内外に伝えていく川島さんの活動に、ますます注目です。