料理を振る舞い、その空間ごとデザインする。料理家・食空間プロデューサー大塚瞳さん

「デザイン」と一口に言っても、それを指す意味は人によってさまざま。形や色、インテリアを指す人もいれば、“空間”をデザインと捉える人もいるでしょう。世界を飛びまわり、その土地の風土や風習に触れてきた大塚瞳さん。出張料理人として国内外の野外料理会を開催する傍ら、飲食店の運営もなさっている料理家・食空間プロデューサーです。大塚さんに、大切にしているデザインや自身が店主を務める店舗についての想いを伺いました。

料理家・食空間演出家 大塚瞳
1981年福岡県生まれ。 料理上手でおもてなしを大切にする祖母や母の影響で、幼い頃から料理や客礼に興味を持つ。食べることが大好きで世界中を巡って様々な味に親しみ、料理研究家のもとで学ぶ。大学在学中の2004年、 居心地の良い空間で過ごす食のひと時をテーマに「Life Decoration」を立ち上げる。料理会で使う食材は全て自ら生産者を巡り探し求めたもの。その数は数千件に及ぶ。窯元との付き合いも多く、「出張料理人」として、気に入った土地に数日限りの食空間を演出するイベントプロデュースを10数年間行い、器と食材をつなぐ役割を果たしている。

料理・人・空間をデザインする大塚瞳さん

オーストリア・ウィーンにある応用美術館 | Photo : 大塚瞳.

まず伺ったのは、大塚さんが暮らしの中で大切にしているデザイン。肌で居心地の良さを感じることを大切にしているといい、「目に見えるもののデザインというよりは、料理を作ったり人を迎えたり…その空間を含めてデザインと呼んでいる」そうです。好きな場所や空間は、オーストリア・ウィーンにある応用美術館。絨毯だけの部屋や椅子だけの部屋など、コンセプチュアルな部屋があり「ここだったらずっと居られる、住んでみたい」とお話ししてくれました。

また、幼少期は、カリフォルニア州パロアルトで過ごした大塚さん。日本では「(家が)狭いから、片付いていないから」等といった理由で人を招くのを控えたりすることがあり、寂しいなと感じることもあったそうですが、アメリカでの生活で印象的なのは気軽に人を招き入れるのが普通だったそうで、「今の私のスタイルはここが原点かな」と語ります。

現地の空気の中でこそ、料理を味わえる

マルタ共和国・ゴゾ島で行われた観光庁主催の日本食のイベント | Photo : 大塚瞳.

世界中で料理を学んできた大塚さんによると、「現地に直接行くのが一番!」とのこと。「現地の空気を吸い、空間を肌で感じることで得られることが全て。映像で見ても本当のことは伝わらないと思います。味もしかり。その空気の中に存在し、初めてわかる。」といいます。また料理好きの祖母・母の影響は大きく、「そのとき、その道の“最高峰”とされているものを体験させてもらいました。おおらかかつ優雅な人たちで、その中で育った私にも受け継がれているものがあると思います」と話します。

さまざまな食空間演出している大塚さんですが、現場についてまず確認するのは、「お化粧室の位置」だそう。「やはり人が大勢参加する場所ですから、飾りつけや料理をどうするかよりも、まずはお化粧室はどこにあるか、そして台所までの距離などを考える」といいます。

コロナ禍だったからこそ、飲食店をオープン

台所ようは | Photo : 大塚瞳.

大塚さんは数々の飲食店のプロデュースも携わってこられましたが、2020年に福岡・大名エリアに自身の初の店舗「台所ようは」をオープン。家庭では、女性の仕事とされることも多い“料理”ですが、飲食・外食産業はまだまだ男性社会。男性のダイナミックさとは異なる、「女性にしかできない料理もある」と考え、居心地よい空間づくりと共に女性スタッフだけで切り盛りしています。ミシュランと人気を二分するレストランガイド『ゴ・エ・ミヨ2022』に掲載された台所ようはに続き、2022年夏には「食堂ミナトマル」「たまとり」と、立て続けに2店舗オープン。一般的にコロナ禍においての飲食店は逆境のイメージがありますが、むしろ良いきっかけになっていたそう。

台所ようは | Photo : 大塚瞳.

「コロナのおかげで、店が持てました。コロナがなかったらあのまま国内外飛び回っていたはずです。“店は持たない”というスタイルを貫いてきた私ですが、お陰様で、店を持つことによって得られる幸せを感じています。どうして3店舗も作っちゃったかなと我に帰ることもありますが(笑)、どれも心を込めて作ったお気に入りの店です」

台所ようは | Photo : 大塚瞳.

「台所ようは」は、大塚さんが考えた、「毎日食べたくなるごはんプロジェクト」の第1弾。47都道府県、日本のおばん菜をテーマにレストランを作る企画で、旅するように仕事をし、訪れた土地のお母さんたちの手料理の美味しさに惹かれ、教わってきたそうです。賢く生きてきた暮らしの知恵の詰まった料理を食べさせてもらったことが忘れられず、「飲食店として各県のお母さんの手料理を食べられたら」との思いで、大塚さんの地元である福岡を1号店とし、『台所ようは』を始めたそうです。

「発酵の技術だったり、東北地方の越冬の知恵に驚かされました。都会にはレストランがたくさんあるけれど、地方に行くと近くのラーメン屋まで30kmなんて場所も…(笑)。ぎゅうぎゅうにお店が詰まった景色を見て育った私にとっては、とても新鮮でした」

大塚瞳さんのLife is ◯◯

そんな大塚さんにLife is ◯◯の空欄に当てはまる言葉を尋ねると、「Life is a given chance」と回答。「いろんな機会に恵まれてきました。あとはそれをどう受け取り活かすか」と語ってくれました。今後も世界を旅し、様々なことを吸収していく大塚さんに期待が膨らみます。