ル・コルビュジエの生涯最後の仕事となった”輝く都市”を目指した「フィルミニの建築群」

ル・コルビュジエの設計活動は建築や家具などにとどまらず都市計画にまでおよび、さまざまな計画案を世に提案しました。その数少ない、そして最大の実現例はインドの大地に築いた都市、チャンディーガルですが、それに次ぐ規模で欧州最大のル・コルビュジエ建築群が残るのがフランスの中部の街・フィルミニです。フィルミニで見学できる「青年と文化の家」「競技場」「サン・ピエール教会」「ユニテ・ダビタシオン」の4つの建築は、ル・コルビュジエの生涯最後の仕事となりました。

新しい都市づくりを目指した鉱山の町”フィルミニ”

古くから鉱山の町だったフィルミニは50年代、主産業の工業を支える労働者の流入で人口急増に直面。解決のため当時の市長が打ち出したのが、「フィルミニ=ヴェール(緑のフィルミニ)」と呼ばれる新興地区の再開発でした。この計画はル・コルビュジエが提唱した新しい都市の理念「アテネ憲章」に基づくもので、陽光の下、緑あふれる空間が広がり、人々の肉体と精神、知性を育むユートピアを目指しました。そこでル・コルビュジエは文化施設、スポーツ施設、教会、そして住居の建築のために、都市開発に参加することになりました。

荘厳でリズミカルな配色が親しみを感じさせる「青年と文化の家」

フィルミニの4つの建築物の中で、ル・コルビュジエが唯一完成を見届けた建築が「青年と文化の家」。コンサート、講演会、ワークショップなど文化的活動のために建てられました。

壁の大きな傾斜と緩やかな曲線を描く屋根が特徴的な外観。側面に設けられた縦長の細い窓の周囲の赤、青、緑、黄色の4色もアクセントとなっています。

内装設計を行ったのは、アンドレ・ヴォジャンスキーとピエール・ガリッシュ。ル・コルビュジエの建築物でよく使われている色を研究して、彼らはこの4色を使用したのです。これは人生に必要不可欠な喜びとル・コルビュジエが呼ぶもので、太陽は黄色、空間はブルー、自然はグリーン、そして生命は赤という4色です。

空が近くに感じられる開放感あふれる「競技場」

青年と文化の家の前に位置する「競技場」。陸上競技用のトラックは400メートルあり、観覧席は立ち見も含めて4,000名が収容できます。これは現在のフィルミニの街のサイズから考えると大きすぎるように思えますが、これは1953年にル・コルビュジエがこの競技場の構想を始めた時の市民の予想数が20,000〜25,000人だったことから。しかし、産業の衰退により人口は17,000人に留まったそう。建築に使われている素材は鉄筋コンクリート。圧巻は観覧席の中央に張り出した板状の屋根。鉄筋コンクリートの強みを生かした、32×16メートルという大きさです。入場者たちはル・コルビュジエが「観客たちの大通り」と名付けた屋上テラスを経由して、階段状の観覧席を降りてゆく仕組みとなっています。

鮮やかな光が空間を照らす豊かな空間「サン・ピエール教会」

“難産”だったと言われる「サン・ピエール教会」。1960年代のはじめに設計を終え、模型も作り、1964年の完成を予定していたものの、工事の着工は彼が亡くなった8年後となってしまったのです。さらに、四角い土台をつくったところでオイルショックにより工事は中断。

その後25年間、そのままの状態で教会は放って置かれることに……。2000年代に入り、 教区から教会を寄贈されたサン・テティエンヌ・メトロポール(都市圏共同体)によって工事が再開されました。完成したのは2006年11月で、設計開始から完成までに約45年の時を経ています。

教会としてユニークなのは、内部が十字ではなく、四角という珍しいつくりであること。

ここがフィルミニ=ヴェールに暮らす職人たちのための教会であり、また街の人々と彼らを結ぶ場でもあったことから、教区がリクエストしたそうです。

教会に入るとまず、目が暗さに慣れていきます。そして、同時に差し込む光に気がつきます。それぞれの面が様々な色に塗られており、色づいた光線は磨かれたコンクリートの床に当たります。

祭壇の背面には、全く違った仕掛けがあります。ここには、コップくらいのサイズの丸い穴が開けられており、まるで星がきらめいているように見える光の差し込む穴「ライト・コーン」が開けられています。

ライトコーンの内側も、それぞれ違う色で塗られています。天井にランダムに開けられたこの穴により、教会の中では太陽の動きを感じとることができます。太陽が動くと、色のついた光が床や壁の上をなめるように動きます。

幼稚園まで備えた、一つの街のような集合住宅「ユニテ・ダビタシオン」

「ユニテ・ダビタシオン」は「文化会館」から徒歩で10分くらいの位置にある集合住宅で、現在も1,000人近くが生活しています。

低所得者用の住宅として建築された当時は、20階建ての建築の中にワンルームから6部屋タイプまで6種のアパルトマン(30〜114平米)が合計414戸、最上階に幼稚園、その上にステージを備えた屋上庭園がありました。1フロアに60戸のアパルトマンがあり、住民のためのテレビ室や読書室も備えた建築を地区のイメージでとらえたコルビュジエは、各フロアを1階、2階ではなく、第1ストリート、第2ストリートと名付けました。

現在も現役で使われる開放的なプール施設

文化会館やサン・ピエール教会の隣にある現在でも普通に使われるプールもル・コルビュジエの設計でいかにもモダニズムといった建築です。

RCと鉄、ガラスで構成された空間は開放的でプールとしても使い心地、居心地が良さそう。

ヨーロッパ最大規模のル・コルビュジエ建築群で感じる彼の理想の都市像

ル・コルビュジエの作品の聖地「フィルミニ」は小さい街であるものの、比較的新しいこともありその街の人に今でも使われていて街に馴染んでいます。ル・コルビュジエのこれまでの経験が詰まった多種多様な建築からは、彼の目指す心地の良い暮らしが見えてきそうです。