サーファー兼YR(ワイアール)代表・瀬筒雄太が語るお店のことやサーフィンの魅力。

最近はコロナの影響もあり、新たに趣味として始める人も多いという「サーフィン」。アウトドアで密を避けられるということもあり、郊外の海でもサーファーが少しずつ増えているといいます。今回お話を伺ったのは、千葉県いすみ市太東でサーフショップ「YR(ワイアール)」を営む、サーファー兼YR代表・瀬筒雄太さん。瀬筒さんが目指すお店や、サーフィンの魅力について伺いました。

瀬筒雄太 / サーファー兼YR代表

1989年、福岡県生まれ。14歳でJPSA公認プロロングボーダーになり、現在は千葉県いすみ市太東でサーフショップ「YR(ワイアール)」を営んでいる。サーフボードなどのレンタルサービスのほか、ロングボーディングスクールも開始して、サーフィンの楽しさを普及している。

デザインの奥にある背景を知りたくなる

瀬筒雄太さんは、1989年生まれの31歳。福岡県の出身ですが、福岡だとあまり波が立たないこともあり、15歳の時に千葉に引っ越しをしたそうです。そんな瀬筒さんは“暮らしの中のデザイン”において、「第一にこれいいなと本気で思えるかどうか」というフィーリングを大事にしているのだとか。表面的なところではなく、心からグッとくるかどうか。「なんでそうデザインされたのか、色とか形とか。古いものであれば、特にその背景を知りたくなります」と話してくれました。

瀬筒さんのお気に入りの場所は、誰もいなくて、人工物もない、何もないような静かな海。日本の海はテトラや漁港などで人工物が目に入りますが、静かな海だと心が安らぐといいます。そして寝るのが好きだという瀬筒さんは、寝室も好きなのだそう。生きてる間で大半を過ごす寝室だからこそ、心地よくてすやすや眠れる場所を目指しているといいます。

サーフショップ「YR」はどんなお店?

瀬筒さんの奥様・良子さんも、プロサーファーとして活躍。良子さんのお父さんがスタートさせたお店を受け継ぎ、2015年3月に店名を新たに「YR」としてオープンさせます。

「とにかくアットホームで力の抜けたお店というか、力を入れ過ぎていないような、極力のんびりとしたお店を目指しています。以前、洋服屋で社員として働いていた時もありますが、今回は売り上げありきのお店にしたくなかったんです。月に100万円売りげなくちゃいけない、そんなお店ではなく。逆にお店に来てもらって、よくないなと思ったら離れてもらっても大丈夫(笑)。もし売れなくてお店が続けられないなら、違うお店をしようかとも考えていました。」

瀬筒さんが思う、サーフィンの魅力

そんな瀬筒さんが思う、サーフィンの1番の魅力は「自由なところ」。海に行って、やりたければやればいいし、やりたくなければやらなくてもいい。「スケートやスキーをやろうと思うと、パークに行って、入場料を払って…と準備が必要だけれど、サーフィンにはそういったものに縛られず、自由にできる」と話します。

「ロングボードなら、波が小さい日に海に浮かんでみるのが楽しいですし、ショートだとアクションだったりトリックだったり、ある程度波のサイズが必要になりますね。タイプが違うのでサーフィンを始めたい方で、小さい波からのんびりやるにはロングボードがいいと思いますよ。」

数々の世界の波に乗ってきた瀬筒さんが“死ぬまでには一度は乗ってほしい”と語るのは、カリフォルニアのマリブ。いわゆるロングボードのルーツとして知られている場所で、「ロングボードで楽しみながら乗れる波は、特別で別格。素晴らしい場所」だといいます。ロサンゼルスが近いため、都会派の人も、のんびり暮らしている人など、いろいろな人が集まっていて面白い場所なんだとか。

「サーフィンから教えてもらったこと」をうかがうと、「どのスポーツもそうだと思うけど」と前置きをした上で、「人生と似てるところがある」「人生の教訓のようなものを教えてもらった」と話しました。

瀬筒さんにとって「ライフイズ◯◯」とは

以前は「サーフィンを通じて何かを伝えたい」という明確な思いがあったそうですが、最近は「シンプルにサーフィンしている自分の姿を見てもらって、何か感じてもらえればいい。サーフィンをやってもらえれば、何か伝わるはず」と考えているといいます。

「僕のサーフィン見て、あんな風に波に乗りたいなって思ってくださる方もいますが、普段お仕事をされていて、休みの日にサーフィンをしている方を見ると、“肩の力が抜けているな”と思うんです。平日の疲れなどを癒すために来られている方も多い。身近にサーファーがいたら、とりあえずやってみる、というきっかけでいいと思います。」

「あるがままの人生を受け入れること」

瀬筒さんが考える「ライフイズ◯◯」は、「ライフイズライフ」。「人生は人生であって、それ以上でも以下でもないし、あるがままの人生を受け入れること」と、インタビューを締めくくりました。