ナプール・アーキテクトが設計したブダペストの「民族学博物館」は、公園の大地がめくれ上がったような門の建築。

ハンガリーの首都ブダペスト。ドナウ川の東岸に広がる市民公園「ヴァーロシュリゲット(Városliget)」の入口に、2022年、まるで大地がゆるやかに持ち上がったような建築が姿を現しました。ハンガリーの設計事務所ナプール・アーキテクト(NAPUR Architect)が手がけた「民族学博物館(Néprajzi Múzeum/Museum of Ethnography)」です。

芝生に覆われた屋上を歩いて登ることができ、ガラスのファサードには約50万ものピクセルによって世界中の民族文様が描かれる。博物館という建築の枠を軽やかに超えて、公園そのものの風景となったこの建築を紹介します。

150年をかけて、ようやく手に入れた「わが家」

民族学博物館の歴史は1872年、ハンガリー国立博物館の民族学部門として産声をあげたところから始まります。ヨーロッパでも屈指の歴史をもつ民族学の専門機関であり、現在では約25万点にのぼる収蔵品を有しています。

ハンガリーの農村文化を伝える民具や織物、衣装から、アフリカ、アジア、オセアニアの民族資料まで。17世紀から現代にいたる写真・映像・手稿・民族音楽の録音まで含めると、その厚みは計り知れません。とりわけ約34万点におよぶ写真コレクションは、ハンガリーの伝統的な農民文化を記録した世界最大級のアーカイブとして知られています。

しかし、これほどのコレクションを抱えながら、博物館は長いあいだ「自分たちのための建築」をもたないままでした。ヴァールケルト・バザール、旧産業館、学校校舎、そして国会議事堂の向かいに建つ旧最高裁判所(クーリア)の建物へ。既存の建築を転々としながら、実に150年ものあいだ、仮住まいの状態が続いていたのです。

新しい博物館が建てられたヴァーロシュリゲットは、1896年のミレニアム博覧会でこのコレクションが初めて人々の前に披露された、いわば原点の場所でもあります。150年の放浪を経て、コレクションが生まれた公園へと帰ってきた。この建築には、そうした物語が重ねられています。

ザハ・ハディドやBIGを退けて選ばれたナプール・アーキテクトの設計案

設計を手がけたのは、ブダペストを拠点とするナプール・アーキテクト。主宰するマルツェル・フェレンツ(Marcel Ferencz)を中心とするチームです。

新しい民族学博物館は2016年の国際設計競技によって設計者が選ばれました。この競技には、ザハ・ハディド・アーキテクツやBIG(ビャルケ・インゲルス・グループ)といった世界的な設計事務所が名を連ねていましたが、最終的に選ばれたのは地元ハンガリーの事務所であるナプール・アーキテクトの案でした。

その評価は国際的なアワードにも表れています。2017年のMIPIM Awardsでは「Best Futura Mega Project」を受賞し、2018年のInternational Property Awardsでも最高評価を獲得。2018年に礎石が据えられ、2022年5月23日、ついに開館を迎えました。延床面積は約34,000㎡におよぶ大規模なプロジェクトです。

大地がめくれ上がり、公園への「門」となる

この建築のかたちを一目見た人は、ほとんど必ず同じ印象を抱きます。それは「地面が両端からめくれ上がっている」という印象です。

建物は中央部で地面のレベルと出会い、そこから両翼がゆるやかな曲線を描いて空へと立ち上がっていきます。持ち上がった二枚の翼が支えるのは、緑に覆われた巨大な屋根。都市の側から公園に向かうと、この建築は自然と「門」のように見えてきます。街と公園、日常と文化のあいだをつなぐゲートとしての姿です。

そしてこの門は、単なる比喩ではありません。建物には3つのエントランスが設けられており、両端のカーテンウォールが跳ね上がった軒下からのアプローチに加え、緑の屋根を切り開くように中央の広場からも館内へと入っていくことができます。公園を歩く人の動線を、建築が遮ることなく受け止める。そんな考え方が平面にそのまま表れています。

高層建築ではなく、大地に沿って水平に伸びていくこの手法は「ランドスクレイパー(landscraper)」とも呼ばれます。公園の樹冠と同じ高さでとどまることを選んだ結果、この巨大な文化施設は、緑のなかに驚くほど静かに収まっているのです。

誰もが登れる、7,300㎡の屋上庭園

Via : Wikipedia.

この建築のもっとも幸福な部分は、おそらく屋上でしょう。約7,300㎡におよぶ屋上庭園は一般に開放されており、来館者でなくとも自由に歩くことができます。

舗装された園路の周囲には、無数の花や低木、常緑樹、グラス類が植えられ、季節ごとに表情を変えていきます。建物が占有した土地を、そのまま公園に返す。屋上庭園はそんな明快な思想のもとにつくられました。

ゆるやかな坂を登りきった先からは、ヴァーロシュリゲットの緑と、その向こうに広がるブダペストの街並みを一望することができます。建築を「見る」のではなく、建築の上を「歩く」体験。この博物館が地元の人々に愛されている理由は、この屋上にあるといってもいいかもしれません。

約50万ピクセルが描く、世界の民族文様

もうひとつ、この建築を強く印象づけているのがファサードです。

跳ね上がった両翼を覆うガラスのカーテンウォールには、レーザーカットされたアルミニウムによる金属グリッドのスクリーンが重ねられています。そこに埋め込まれたピクセルの数は、およそ50万。この膨大な点の集積によって、選び抜かれた民族文様が壁面に描き出されているのです。

モチーフとして選ばれたのは、ハンガリーの伝統的な刺繍や織物の文様だけではありません。ベネズエラ、コンゴ、カメルーン、モンゴル、中国、メラネシア。博物館が収蔵する国内外のコレクションから抽出された文様が、現代的な手法で再解釈され、ひとつの壁面の上に並置されています。

刺繍という手仕事が本来もっていた「点の集まりによって図像をつくる」という原理を、デジタル時代のピクセルへと翻訳する。伝統文様を装飾としてなぞるのではなく、その成り立ちの構造ごと現代建築に置き換えたところに、この表現の批評性があります。

そして日が落ちると、内側からの光がグリッドを透かして、文様は夜の公園に浮かび上がります。昼と夜とで、まったく異なる表情を見せてくれるファサードです。

建築の60%を地下に沈めるという選択

この建築が公園のなかで穏やかに佇んでいられるのには、明確な理由があります。全体の約60%が地下に埋められているのです。

これは景観への配慮であると同時に、博物館建築としてきわめて合理的な選択でもあります。温度や湿度、そして光。繊細な民族資料や染織品を長期保存するうえで、地下は外部環境の変動を受けにくい理想的な環境だからです。展示と収蔵に必要な安定した環境を地下に確保し、地上部分は極力軽やかに——という役割分担が、そのまま建築の断面になっています。

地下には約7,000㎡の展示空間が広がり、常設展と企画展が行われています。開館とともに始まった常設展「ZOOM(ズーム)」は、20万点を超える収蔵品を「多い/少ない」「小さい/大きい」「部分/全体」「近い/遠い」といった対の概念を通して見せていく展示です。決められた順路や解説に導かれるのではなく、来館者が自分の縮尺で膨大なコレクションに近づいたり離れたりできる、という発想が貫かれています。

そして、この博物館を訪れたなら必ず目にすることになるのが「セラミックス・スペース」。全長約40mの大階段に沿って、世界各地から集められた約4,000点もの陶器が壁一面に展示される圧巻の空間です。しかも、この階段は入場券を持たなくても無料で見ることができます。

地上階には、書店やレストラン、図書室、ドキュメンテーションセンター、コワーキングスペース、子どものための体験型ミュージアムなどが並びます。ガラス張りの開放的な地上階は、街と公園の視線をつなぐと同時に、展示を見ない人にも開かれた場所として機能しているのです。

「リゲト・ブダペスト・プロジェクト」という大きな文脈

民族学博物館は、単体で計画された建築ではありません。ヨーロッパ最大級の都市文化開発とも称される「リゲト・ブダペスト・プロジェクト」の一環として実現したものです。

ハンガリー音楽の家

同じヴァーロシュリゲットの敷地内には、日本の建築家・藤本壮介が設計した「ハンガリー音楽の家(House of Music Hungary)」が2022年に開館し、穴のあいた薄い屋根が樹々のあいだに浮かぶ姿で世界的な話題を呼びました。さらにSANAAによる新国立美術館の計画も進められており、公園全体が現代建築のショーケースのような様相を呈しています。

参考:木漏れ日を設計する。藤本壮介による「ハンガリー音楽の家」がブダペストの公園に生んだ音楽の森。

一方で、歴史ある市民公園に新たな建築を建てることについては、緑地の減少を懸念する市民からの反対の声もありました。そうした議論のなかで、建物の6割を地下に沈め、屋根を緑化して公園に返すという民族学博物館の解答は、ひとつの誠実な回答のかたちだったといえるでしょう。

建築そのものが、文化の入口になる

民族学博物館は、収蔵品を守るための箱でありながら、同時に誰もが登り、歩き、休むことのできる公園の一部でもあります。展示室に一歩も入らなくても、この建築を楽しむことができる。それは、文化施設のあり方としてとても幸福な状態ではないでしょうか。

刺繍の文様をピクセルに翻訳したファサードも、公園に返された屋上庭園も、根底にあるのは「かつてあったものを、現代のかたちで手渡す」という姿勢です。150年の放浪を経てようやく居場所を得たコレクションにふさわしい、おおらかで開かれた建築。ブダペストを訪れる機会があれば、ぜひこの緑の丘に登ってみてください。

民族学博物館 – Néprajzi Múzeum/Museum of Ethnography

開館時間:10:00~18:00
休館日:月曜日
URL:https://www.neprajz.hu/
住所:Budapest, Dózsa György út 35, 1146 Hungary