日本人の暮らしをかたち作った畳は、「casa amare」にも受け継がれる
近年の洋風建築ブームで、すっかり忘れられつつあった和風建築ならではのものたち。
障子、襖、軒、縁側などなどのもつ効能や美が見直され始めている。
「畳」も、もちろんそのひとつだ。
日本人の立ち居振る舞いにも大きな影響を与えてきた畳は、いわば日本の文化の象徴とも言える。
日本人の美しい所作の源・畳
大河ドラマのような時代劇を見ていると、着物を着ていた時代の日本人の所作の美しさに感心することがある。向きを変えるだけ、または、誰かに近寄るとき、などでも様式にのっており美しい。
ちょんまげ、袴まで遡らなくてもいい。昭和の半ばくらいまでだろうか。一般家庭でも、家の中できちんと正座をしていたり、子どもが親に改まって話をするときに、しっかり向き合って座り、頭を下げたりもする。
「昔の日本人は、礼儀正しかったのだなあ」と感心するが、これは、生活様式の違いにも起因するものとも言えるだろう。
とくに大きな違いは、日本の住宅から畳が姿を消し、家の中で正座をする機会が激減したことによるものだろう。
畳は、日本の文化や伝統を感じさせてくれる
畳が一般家庭にまで普及したのは戦後のことだそうだ。それまでは貴族や武士階級だけに許されたものであって、農民など庶民には畳はあこがれの存在だった。
たしかに時代劇でも、武士の出てくる場面には畳が出てくるが、ひとたび町人や農民の家に場を移せば質素な板の間に、せいぜいござを敷いたくらいのものだ。
戦後まもなく連載が始まった「サザエさん」に出てくる磯野家は、当時の日本の一般的な家庭という設定だろうが、どの部屋も畳敷きだ。今、見るとレトロにも見える家の造りだが、当時からすれば「最先端」のあこがれの家だったのではないだろうか。
畳は、日本人の美しい所作を生んだだけでなく、畳の大きさ(京間、江戸間などあり、微妙に大きさが違う)や厚さ、さらには縁の色などで格式や身分が示されたり、畳の敷き方にも「祝儀敷き」「不祝儀敷き」などの作法があった。
日本ならではの奥深い文化や伝統を感じさせてくれる。日本人にとって、畳はそんな存在ではないだろうか。
懐かしく、それでいて快適な畳のある家づくり
近年の住宅には、畳敷きの部屋がないものが増えてきた。あっても、それは客間であったり、同居する祖父母の部屋だったり。サザエさんやちびまるこちゃんのように、畳敷きのお茶の間で家族がいっしょに過ごす、という風景は絶滅しかかっているように思われていた。
しかし、casa amareでは、「日本で暮らす日本人にとって本当に美しい家」を作ることを目指している。そして、その中には、もちろん「畳」も欠かせないパーツとして組み込まれている。
畳敷きの部屋だからこそ出せる広がりや、やすらぎ、そして品格を、casa amareは大切にし、日本人ならだれもが「懐かしい」と感じ、それでいて機能性は高い家づくりに取り組んでいるのだ。
畳のある家に住み、日常的に畳に触れる生活をしてみると
なんだか、心持ちも変わってくるような気がする。
テレビを見ながら寝転がるにも、ソファではなく畳の上にごろっと、だと「自分は日本人なんだなあ」と実感できる。
時代劇のような美しい所作をすぐに身につけることはできないが、「そうなれたらいいな」と感じることはできる気がしている。