モダニズム建築の金字塔、 ミース・ファン・デル・ローエの名作に施された 目に見えない大改修工事とは

近代建築の三大巨匠と呼ばれる建築家、ルードヴィッヒ・ミース・ファン・デル・ローエ。彼の最晩年の作品、ベルリンの「新ナショナルギャラリー」が、2018年から3年間の大きな改修工事を経て、リニューアルオープンを迎えた。改修を担当したのは、今年度のプリツカー賞を受賞したデイヴィッド・チッパーフィールドである。

いかにしてモダニズム建築の大傑作を損なわず、現代のミュージアム建築基準に引き上げたのか。外観はそのままに見えるが、実は外壁も含め大規模な補修や技術向上が盛り込まれている。その改修プロジェクトの秘密を紐解いてみたい。

可能な限り、ミース。

© Simon Menges 地上も地下も⾃然光を柔らかく取り⼊れた明るい展⽰空間に。ミースの当初のアイデアが60 年近くを経て実現。

ミース・ファン・デル・ローエは、1930年にバウハウス造形学校最後の校長に就任。ナチスの権力掌握で閉校を余儀なくされた後、1938年にアメリカへ移住した。新ナショナルギャラリーは、移住後にヨーロッパで設計した唯一の建物でもあり、最後の作品でもある。彼がモットーとした「less is more (少ない事はより豊か)」を体現する、ガラスと直線的な鉄骨構造だけのファサード。装飾は一切ないが、一度見たら忘れられない印象的な建築だ。

© Simon Menges

今回の作業にあたり、クライアントが掲げた目標は「可能な限りミース」。 プロジェクトを担当したデイヴィッド・チッパーフィールド・アーキテクツ・ベルリンのマルティン・ライヒェルトによると、彼らの役割は”目に見えない建築”を作ることだったと言う。「モダニズム建築の神殿である新ナショナルギャラリーの完成度は高く、何かを補う余地はほとんどありませんでした。ただミースは使いやすさよりも外観や比率に重点と置いていたため、ガラスのファサードに構造上の欠陥があったのです。」

© Simon Menges 透明度の⾼い分厚いガラスが採⽤されたファサードが周囲の街の⾵景を映す。

ファサードは断熱構造ではなく、美術館内部との温度差が4度を超えると激しい結露が起こっていた。ガラスを支える枠は腐食し、ガラスは一部破損していた。最初は断熱性のある二重ガラスの使用を検討したが、歴史的な外観を保存するために最終的には厚みが2倍ある安全合わせガラスの採用が決定。オリジナルのガラス板の成分を分析し、鉄分が少なく透過性の高いホワイトガラスが選ばれた。しかしこのサイズのガラスを製造できるメーカーが世界に1社しか見つからず、中国からの運搬だけでも、半年もの時間を要したという。さらにガラスの後ろには、新たな換気と結露の排水システムを設置した。

壮大なパズルのような作業

© Ute Zscharnt for David Chipperfield Architects 2016 年の地上階の展⽰ホール。膨⼤な数の建築パーツの解体が始まった。

ファサードの大規模な補修はもちろん、空調設備や照明、エレベーター設置などのバリアフリー化基準更新などのため、床板や天井、内装の建具など、約3万5千点に及ぶオリジナルの建築パーツが解体された。これらのパーツには識別用のマークが付けられ、データベースで管理されて、最終的に正確に元の位置に戻されたのである。

© Christian Martin ⾃然⽯のプレートは全て取り外され、管理されていた。2016 年12 ⽉の様⼦。

「このように疑いもなく侵しがたい権威を持つ建築を解体することは、奇妙な体験ではありましたが、特権でもありました。」とデイヴィッド・チッパーフィールドは言う。

「このプロジェクトは、私だけでなく多くの建築家にとって試金石と言えるのではないでしょうか。ファサードの裏側を見ることでこの建築の素晴らしさと欠点の両方が明らかになりました。しかし、私の中ではミースが思い描いたビジョンへの称賛が高まったのです。」

ミースが思い描いた、原点へと戻る。

© Ute Zscharnt for David Chipperfield Architects 2017年の展⽰ホールの様⼦。

ミースは地下の展示空間に、工業製品のパネルをはめた吊り天井を提案した。アメリカではすでに標準的なものだったが、1960年代、西ベルリンにはこのシステムはなく、市内の家具職人たちが彼のアイデアを形にするため試行錯誤。しかし見た目こそ似ていたものの使い勝手は悪く、過去に何度も改修が重ねられていた。

© Landesarchiv Berlin, Foto: Ludwig Ehlers 1967年、4⽉5⽇、鉄⾻の設置⼯事の様⼦。

今回の工事では、館長の部屋の天井は歴史的なものをそのまま残し、展示室にはミースが当初思い浮かべていたような白いパネルの吊り天井を設置。60年を経て、ミースの願いが叶った形だ。展示室の床のグレーの絨毯も同じく、歴史的な資料を踏まえて新たに建設当初の色や素材感に近いものが織り直された。スイッチやボタン、コンセントに至るまで建設当時の設備を再構築している。

庭に面した地下の展示室は、自然光を優しく取り入れてフワッと明るく、靴音や話し声の反響もほとんどない。これまでの暗くてやぼったい空間とは全く違う。静謐で美しく、居心地の良い展示空間となった。

Neue Nationalgalerie, Berlin
© Staatliche Museen zu Berlin, Zentralarchiv, Reinhard Friedrich 1968 年、開館当初の新ナショナルギャラリー地下フロア。

上階の展示空間は壊れていた床暖房も復元し、冷却装置も設置。ガラスファサードの一部には、当初使われていたカーテンを、素材まで近いものを選んで取り付けた。刻一刻と変わる周囲の光が、展示作品と相まって、この場所を1つのアート作品へと昇華させている。ミースの計画がいかに見事だったのかが、この改修工事で証明されたかたちだ。

歴史的な名作が、今に生きる

© Simon Menges

地下には、新たにミュージアムショップとクロークを設置。ここは、あえてパネルを取り外した剥き出しのの天井を見せた。オーク材と黒御影石を使ったシックなカウンターは、ミースの家具をイメージ。コンクリートの天井とのコントラストが面白い。観客が最初に訪れる場所を印象的に作ることで、観客の建築への意識も高まっていく。

この工事は、2021年9月、ドコモモ国際近代化建築物記録委員会による、第1回リハビリテーション大賞の名作部門を受賞した。現代の基準に適合されながら、建設当時の魅力をさらに増した建築。見学の際には展示だけでなく、空間そのものもじっくりと味わいたい。