モダニズムを世界に知らしめ、後世に多大な影響を与え続ける近代建築の巨匠「ル・コルビュジエ」

20世紀の近代建築運動に大きな影響を及ぼした1人である、ル・コルビュジエ。本名「シャルル=エドゥアール・ジャヌレ」。ル・コルビュジエは、1887年にスイスで生まれ、地元の美術学校で学んだ後にウィーン、ベルリンで建築・工芸の新しい運動に触れ、パリでキュビスムの影響を受けました。建築のみならず絵画、彫刻、家具のデザインもしており、第一次大戦後には雑誌の刊行を手掛けます。

Via : Wikipedia.

ル・コルビュジエと、その従兄弟ピエール・ジャンヌレ、若手デザイナーのシャルロット・ペリアンの3名による共同開発によって作られた家具のコレクション『LCシリーズ』は、『家具の歴史に大きな影響を与えた』として高い評価を受け、1928年当時に作られた物がニューヨーク近代美術館に収蔵されていることからもその人気が伺えます。

近代建築の五原則を提唱した「サヴォア邸」やドミノ・システムを体現できる巨大な集合住宅「ユニテ・ダビタシオン」、日本では上野の『国立西洋美術館』などのほかにも、ニューヨークにある『国連ビル』のデザイン(多数の建築家と共同)や個人住宅や集合住宅、礼拝堂や修道院の他にも歴史に残る様々な建築をデザインし、2016年には「ル・コルビュジエの建築作品」として7カ国17の建築物が世界文化遺産へ登録されました。

建築以前の画家としての幾何学的な絵画作品

Le Corbusier, 1921, Nature morte (Still Life), Via : Wikipedia.

ル・コルビュジエは建築を始める前から画家として活動し始め、建築家として活動してからも意欲的に絵画の制作活動を続けていました。その絵画の作品は幾何学的な造形で描かれ、「ピュリスム(純粋主義)」の概念で描かれているため、彼の建築作品にも通じます。またこれらは「レスプリ・ヌーヴォー」の刊行にもつながっていると考えられます。

後世に多大な影響を及ぼすル・コルビュジエの建築思想

エスプリヌーボーのパビリオンに展示されたパリ再建のためのプランヴォワザンのモデル, Via : Wikipedia.

20世紀初頭から前半にかけてさまざまな芸術運動が興り、ル・コルビュジエもいくつもの雑誌に協力し、自らが編集、発行を手掛けた総合文化雑誌『レスプリ・ヌーヴォー』を発行しました。これは、まだパリで業績を挙げるチャンスが無かった彼が、世に知られるようになるきっかけとなった雑誌です。

『レスプリ・ヌーヴォー』に執筆した論考はのちにまとめられ、『建築をめざして』『近代建築名鑑』『今日の装飾芸術』などとして出版されました。その中で展開された彼の思想が現れているのが「住宅は住むための機械」という言葉。建築には機能が備わっている必要がある。船には水に浮かび水上を移動する機能が必要であり、飛行機には空を飛ぶ機能が必要だ。同様に住宅には住むという機能が必要であるという考えです。こうした書籍によって、ル・コルビュジエがめざす新しい時代の建築についての考え方は、多くの人々に強い印象を植え付けることに成功したのです。

空間の拡大を可能にした建築理論「ドミノ・システム」

1914年にル・コルビュジエ発表した建築理論「ドミノ・システム」は、鉄筋コンクリートでできた四隅の柱を床で繋ぐことにより、自由自在に空間をひろげることが可能となる、それまでのヨーロッパ建築にはない画期的なアイデアでした。

これを最も体現できるのが集合住宅「ユニテ・ダビタシオン」です。建築は8階建て337戸の大型建造物でありながら、ピロティで地面から持ち上げられたような構造になっています。

「ユニテ・ダビタシオン」を観察すると、ピロティが単なるデザイン上のアイデアではなく、ピロティによって解放された空間を人々が行き交い、風が通り抜け、車の駐車スペースにも利用できるよう配慮されて造られたものであることがわかります。

サヴォア邸で実現された「近代建築の五原則」

更に屋上という概念と自由な空間の創造を加え、ドミノ・システムを重ねることにより高層建築も可能になった鉄筋コンクリートの構造システムが、1926年にル・コルビュジエが提唱した「近代建築の五原則」です。

ピロティ、屋上テラス、自由な平面、横長の窓、自由なファザードで構成される近代建築の基本構造で、それまでにあったレンガなどの重厚な壁に囲まれ、斜めの屋根で作られた建物と違い、1階部分に柱を用いたことで空間を作り、壁をなくすことにより部屋の繋がりと構造が自由になりました。

屋根を平面にすることで屋上という概念を生み出し、表側壁面部分には多くの窓や横長の窓など自由にデザインできるようになりました。

人体と建築の調和した寸法「モデュロール」

カップ・マルタンにあるユニテ・ド・キャンピングに描かれたモデュロール

ル・コルビュジエによって提案された建築モデュールの一つ。男性が手をあげた姿勢の指先,頭,みぞおち,つま先の間の三つの寸法が黄金比になっていることに着目し、これらをもとにフィボナッチの数列に展開したものです。古典以来伝統的にもっとも美しい調和を示すとされている黄金比を,機能的な人体寸法に関連させたところに近代建築家 ル・コルビュジエの理念がよくあらわれています。

チャンディーガルで実現した都市計画

チャンディーガルはインド北西部に位置する州都。ル・コルビュジエが構想した都市計画を実現させた「唯一の街」です。チャンディーガルは、グリッド状に配置されたセクター(区切り)に分かれています。その大きさは1.2km×0.8km。それぞれのセクター内で「住む」「働く」「レジャー」の3つが完結されるよう設計されました。

これはル・コルビュジエが唱えた「輝く都市」「アテネ憲章」に基づくもので、チャンディーガルと同時期にフランスのマルセイユに建造された集合住宅「ユニテ・ダビタシオン」にも通ずるコンセプトとなっています。当初は47セクターが計画されましたが、その後拡張し、現在は65セクターほどのセクターからなります。

新しい可能性を追求した建築「ロンシャンの礼拝堂」「ラ・トゥーレット修道院」

ル・コルビジェ建築は「直線」を多用した、機能性・合理性が印象的なものが多い中で、晩年の作品となる「ロンシャンの礼拝堂」は、それまでの彼の作風とは異なり、曲線を多用した彫刻的造形となっています。

特徴的な屋根は蟹の甲羅がモチーフと言われており、当時の教会建築としては全くの異質な建物で、彼の近代建築理論とは異なるものでした。

「ラ・トゥーレット修道院」は、フランスのリヨン郊外にあるカトリックのドミニコ会の修道院。ロンシャン礼拝堂の設計を依頼したクチュリエ神父の依頼により、1953年に設計、1956年に着工し、1960年に竣工しました。

丘の斜面に沿うように建つ外観は、禁欲的で垂直と水平の直線だけの矩形としてデザインされ、斜面の力を利用した力強い建築として知られています。「ラ・トゥーレット修道院」は、「ロンシャンの礼拝堂」と「ユニテ・ダビタシオン」での経験を生かし、それらを統括して作られた作品。ル・コルビュジエ建築の叡智が結集した最高傑作の一つと言えます。

初の大陸を跨ぐユネスコ世界文化遺産「ル・コルビュジエの建築作品」

「近代建築の五原則」を定式化し、近代建築運動を推進する上でも大きな影響力を持ったル・コルビュジエ。彼の残した建築作品の中でも、傑作とされる建築が2016年にユネスコ世界遺産委員会で「ル・コルビュジエの建築作品」として、世界文化遺産へ登録されました。東京都の上野公園内にある「国立西洋美術館」を含む7カ国17の建築は、世界遺産初の大陸を跨ぐ登録となっています。

日本で唯一ル・コルビュジエの思想を体感できる空間「国立西洋美術館」

日本で唯一のル・コルビュジエによる建築である「国立西洋美術館」は、ドミノ・システムを感じさせるヴォリュームを浮かせた構造や、1階の一部をピロティにするなど、いたるところに彼らしさが散りばめられています。
コルビュジエの建築作品は、フランスを中心に世界7カ国にまたがった世界ではじめての世界文化遺産であり、上記の日本以外の国々にも建築が位置します。

賛否両論の実験住宅「ヴァイセンホーフ・ジードルグの住宅」(ドイツ)

ル・コルビュジエが実験的な住宅として提案した「ヴァイセンホーフ・ジードルグの住宅」。近代建築の五原則を提唱した翌年に建てられ、彼はこの建築で本格的にその要素を実現させました。建設当初、空中に浮かぶ直方体の建築に対し、非現実的あるいはロマン的すぎる、不自然の形態の強要であるといった批判が寄せられました。

最高傑作として名高い邸宅「サヴォア邸」(フランス)

ピロティや水平連続窓など、近代建築の五原則が集約された最高傑作とされるのがこの「サヴォア邸」です。サヴォア邸は、前述した近代建築の五原則と建築の中を歩き回ることによって”建築的プロムナード”を体現できる住まいです。

南米唯一のル・コルビュジエ建築「クルチェット邸」(アルゼンチン)

世界各国に現存するル・コルビュジエの建築の中でも、南アメリカ大陸唯一とされるのが「クルチェット邸」。こちらは「ル・コルビュジエの家」として映画でも使用されました。

モダンな雰囲気のル・コルビュジエ初の住宅建築「クラルテ集合住宅」(スイス)

スイスのジュネーブに立てられた「クラルテ集合住宅」は、ル・コルビュジエがピエール・ジャヌレとともに手掛けた集合住宅。ル・コルビュジエが初めて手掛けた集合住宅でもあり、主に鉄とガラスで構成されており、軽やかな印象のファサードが印象的な建築です。

画家のアトリエを兼ねた箱型住宅「ギエット邸」(ベルギー)

1927年に画家のルネ・ギエットの住宅兼アトリエとして建てられた「ギエット邸」。ル・コルビュジエのシトロアン型住宅と言われる、車のように量産可能な住宅の一つでもあります。

この他にもフランス・パリの「ラ・ロッシュ=ジャンヌレ邸」やボルドーの「ペサックの集合住宅」、マルセイユの「ユニテ・ダビタシオン」、「サン・ディエの工場」、「ロンシャンの礼拝堂」、「カップ・マルタンの休暇小屋」、「ラ・トゥーレットの修道院」「フィルミニの文化の家」、インド・チャンディガールの「キャピトル・コンプレックス」、スイスの「レマン湖畔の小さな家」が世界遺産として登録されており、観光地として、あるいは竣工当初の目的のまま、今もなお人々に愛されています。

「カップ・マルタンの休暇小屋」とル・コルビュジエの死

南フランスのコート・ダジュールの美しい海岸線の先、イタリアとの国境にカップ・マルタンという小さな村があります。コート・ダジュールの美しい海を愛したル・コルビュジエは、この地に自身と妻のための小屋を建て、休暇の度に訪れました。

後にこの小屋は「カップ・マルタンの休暇小屋」と呼ばれ、2016年に上野の国立西洋美術館などとともに「ル・コルビュジエの建築作品―近代建築運動への顕著な貢献―」として世界遺産に登録されることになったのです。

もともと泳ぐことが好きだったル・コルビュジエは、晩年もこの美しい海で泳ぐことを楽しんでいました。1965年8月に目の前の海で海水浴中に心臓発作で亡くなり、この小屋が終の住処となった。妻・イヴォンヌの故郷であるモナコを一望する丘には、ル・コルビュジエ自身がデザインし、夫婦が共に眠る墓があります。

数多くの作品を通じてモダニズムを世界に広めた近代建築の巨匠

20世紀の近代建築運動に大きな影響を及ぼした建築家 ル・コルビュジエ。彼の残したものは建築物のみならず、それを通した建築思想。これからも彼の功績は廃れることなく後世へと受け継がれていくでしょう。