バウハウス最後の目撃者と言われるアクセル・ブロホイザーと「テクタ・カンチレバー・ミュージアム」

1919年にヴァイマールで誕生した「バウハウス」は、1925年にデッサウに移転し最高潮を迎えるが、ナチス・ドイツからの圧迫が強くなりベルリンに移転。そしてバウハウスは、1933年には閉校に追い込まれてしまう。

たったの14年とバウハウスが存在したのは短い期間だったにも関わらず、今なお世界中のデザインに影響を与えているのは、その後アメリカに教育の場所を移して活躍した初代校長ヴァルター・グロピウスが、バウハウスのマイスターたちの活動支援に奔走した功績が大きい。

しかし、それ以外にもバウハウスの教育や理念に共感し、後世に伝えようとした人物がいた。

バウハウス最後の目撃者「アクセル・ブロホイザー」とは!?

そういった人物の一人がバウハウス最後の目撃者と言われている「アクセル・ブロホイザー」だ。実際、バウハウスの学生で後にマイスターにもなるマルセル・ブロイヤーやバウハウス初代校長を務めたグロピウスの婦人らとも親交が深かった。

東西冷戦時代の東ドイツ出身のブロホイザーは、バウハウスの家具の1枚のスケッチに魅せられ、バウハウスへの憧れを持つ。もちろん社会主義体制下の東ドイツでは、バウハウスは危険思想として許されず、パイプの椅子を解体した状態で運ぶなどしていたため、父親が経営する工場まで廃止に追い込まれた。その後、西ドイツに亡命。1972年にTECTA(テクタ)を創業し、研究を重ねてバウハウスの名作家具を次々と復刻していった。

現在ドイツのブレーメン近郊のローエンホルデに本社と彼のコレクションやテクタの製品を集めたミュージアムがある。

カンチレバーの椅子が並ぶテクタ・カンチレバー・ミュージアム

そのミュージアムの名前は「テクタ・カンチレバー・ミュージアム」と言い、主にカンチレバー(キャンチレバー・片持ち構造)の椅子が数多く展示されている。

建築時代がどこかジャン・プルーヴェのデザインにも似ているのは、ブロホイザーがプルーヴェとも親交が深く、バウハウスにも通じる理念を見出していたからだと思われる。

様々なカンチレバーの椅子や家具

バウハウス時代には、技術的に実現が困難だったデザインをTECTAは次々と製品化する。図面やスケッチで残っていたそれらを独自で生み出したチューブ・アプラティなどの特許技術によって実現化。

もちろんブロホイザー自身はバウハウスの教育を受けてはいないものの、「アート(芸術)とテクニック(技術)の融合」と言ういかにもバウハウスらしい言葉を常に発していたという。バウハウスの思想や理念をトレースし、研究を重ねたに違いない。

また、ジャン・プルーヴェから「素材が何を考えているかを考えなさい」と伝えられたブロホイザーは、カンチレバーの椅子の構造的な弱点をチューブ・アプラティによって解決。これによりバウハウス時代にデザインされた家具たちを数多く世に送り出した。

このカンチレバー・ミュージアムには、ミース・ファン・デル・ローエによるカンチレバーの椅子やマルセル・ブロイヤーの有名なヴァシリーチェア、ジャン・プルーヴェの家具など様々な名作家具が展示されている。

もちろんバウハウスの創業者で初代校長であるヴァルター・グロピウスの家具もあり、TECTA社から製品化されている。日本ではアクタスでバウハウスの校長室にも使われた「F51」チェアなどを買うことができる。

大自然に囲まれたこのミュージアムは、ガラス張りの明るく大きな展示空間があって、名作家具たちを思う存分楽しむことができる。

 

バウハウスと直接の関わりがないににも関わらず、ここまでバウハウスのデザインを実現するために活躍した人物はそうはいないはずだ。アクセル・ブロホイザーは、バウハウス最高のエヴァンジェリストであると同時に、TECTAが最高のパートナーなのではないだろうか。

TECTA Kragstuhlmuseum – テクタ・カンチレバー・ミュージアム

開館時間:10:00~12:00/14:00~17:00(土曜日10:00~14:00)
休館日:日〜水曜日
URL : https://www.tecta.de/kragstuhlmuseum/
住所:Sohnreystraße 8, 37697 Lauenförde, Germany