安藤忠雄に深い影響を与えた長屋での原体験と、デビュー作「住吉の長屋」

安藤忠雄が4歳の時に移り住んだのが、中宮町の住宅と呼ばれる安藤の祖父母の家。その後、手を加えながら45歳まで住み続けた。安藤が世界的な建築家として知られる契機となった初期の代表作「住吉の長屋」も、そんな彼の生家と同じ長屋だった。

長屋と生きた安藤。職人と育った幼少期。

安藤忠雄 via:wikipedia

中宮町の長屋は、暗くて狭く、冬は寒くて夏は暑い。そんな中でも後ろ庭から差し込むわずかな光や通風で四季を感じ、難しい住まいの中で工夫しながら生活していた。

周辺は木工所や鉄工所など、町工場が軒を連ねていた下町らしい環境にあり、職人達のモノづくりに対する情熱を幼い頃から肌で感じてきたことが、建築家・安藤忠雄氏の原点となった。

2階の増築時、天井をはがしたときに差し込んだ光が、普段見慣れた薄暗い室内を一変させたことに衝撃を受けたことが、光の教会など後の作品に大きな影響を及ぼしている。

巡ってきたチャンスも、長屋だった

住吉の長屋模型

1969年、大阪に安藤忠雄建築研究所を設立した。個人住宅を多く手がけながら、舞い込んできたのが住吉の長屋の設計である。三軒長屋の真ん中部分に位置する、間口2間・奥行き8間。中宮町の住宅と敷地の形状もほぼ同じだ。

狭い路面に位置する三軒長屋の真ん中の一件だけを切り取って、コンクリートの家に立て替えるというかなり大胆なもの。解体も含め、総工費は1,000万円である。

敷地を三分割し、中央を中庭とした。外に面しては採光目的の窓を設けず、採光は中庭からだけに頼っている。トイレやお風呂へ行くだけでも、雨の日は傘をささなくてはいけない。冷暖房もない。

そもそも住吉あたりの長屋には、坪庭や後ろ庭といった家の中に外がある生活が根付いていた。どんなに批判を受けようとも、便利さや快適さよりも、都市の真ん中でも自然と共に生きる感覚を大切にしてほしいという安藤のこだわりなのだ。

逆境を乗り越え、一流建築家へ

住吉の長屋断面模型

狭小な敷地に立つ極小の建築という厳しい条件。限られた予算と敷地では、生活の快適さと、自然のある生活の豊かさを共に実現することは不可能だった。住まいとしてもっとも重要なものは何かを考え抜き、都市で呼吸するための中庭を住宅の中心に据えた。しかし、この型破りの生活分断住宅が完成したのも、クライアントの理解があってこそである。依頼者である夫婦は今も当時と変わらぬ形で住み続けている。

 

住吉の長屋は、高く評価され、1979年に日本建築学会賞を受賞した。コンクリートの打ち方に徹底的にこだわった滑らかに輝く質感と、開口部をできるだけ抑えた強く美しい壁の表現はこれ以降、ANDO建築の真骨頂となった。

長屋で生まれ育った安藤にとって、住吉の長屋は力のこもった作品であるに違いない。何としてでも便利さだけでない、豊かな生活を依頼主に届けたいという意地にも似た想いが伺える。

兵庫県立美術館

「住吉の長屋」の写真パネルと10分の1の模型が展示されている。

開館時間:10:00~18:00(入場は17:30まで)
休館日:月曜日(祝休日の場合は翌日)、年末年始(12月31日、1月1日)
観覧料金:大人500円
URL : http://www.artm.pref.hyogo.jp/access/archtect/ando/index.html
住所:神戸市中央区脇浜海岸通1丁目1番1号