2017年6月で生誕150周年!近代建築の巨匠フランク・ロイド・ライトとは?
空間の魔術師と呼ばれ、今でも多くの建築家やデザイナーに影響を与え続けているフランク・ロイド・ライト。ル・コルビュジェやミース・ファン・デル・ローエと共に「近代建築の三大巨匠」と称される。生涯一貫して、より豊かな人間性の保証に寄与する建築、つまり「有機的建築」の理想を追求し続け、生涯に1191にのぼる作品を残し、その内460作品が実現された。
水平に伸びて自然と融合するプレイリースタイル
20世紀初頭、建物の高さを抑え、四方に開ける新しい建築様式「プレーリースタイル(草原方式)」を確立し、一気に評価を高めた。水平に伸び、自然と一体になった建物は、現在の建築にも大きな影響を与えている。
・自然と融合して、一台となるよう地をはうような低い安定したデザイン。
・低く抑えられた屋根や連続窓による閉栓を強調したデザイン。
これらがプレーリースタイルの特徴だ。その手法が目指したのは、建物の形を単なる白い箱から開放し、外部の空間とつなげることである。
ライトは白い箱から開放するために、それまで外壁の一方を塞いでいた暖炉と煙突を構造体として建物の中心に据えることで、家族生活の核と位置づけるだけでなく、東西南北全てに向けて窓が作れるようにした。さらに出窓やコーナー窓を沢山設けたり、住宅全体の間取りを十字にしたりと、箱型を崩すことを様々に試みている。
天才建築家フランク・ロイド・ライトの人物像
1867年にアメリカ東部のウィスコンシン州に生まれ、州立大学の土木科を卒業、設計事務所勤務を経て、師匠であるルイス・サリヴァンのもとで働くようになる。幼少期から母親から建築家になるべく英才教育を施されていた。独立して最初の作品であるウィンズロー邸の美しい外観は人々を魅了し、一躍有名建築家の仲間入りを果たした。
しかし、フランク・ロイド・ライドは作品は優れていても、人間的には決して賞賛されていない。
ライトを建築家にしたかった母は、ライトに「あなたは天才的な建築家だ」と言い続け、溺愛していたようだ。実際ライトは20世紀を代表する建築家になったわけだが、過保護によって人格は破綻。自己顕示欲が強く、虚言癖がある。借金、不倫、やりたい放題の人生。天才的な芸術家の多くがそうであったように、フランク・ロイド・ライトも人格異常者であった。
フランク・ロイド・ライトの代表作
ユニティ協会(1904年)
1904年にシカゴに建てられた協会。この設計は日本の日光東照宮に影響を受けたと言われている。
ロビー邸(1906年)
プレーリースタイルの到着点と言われる代表的作品で、閑静な住宅街に佇む水平を強調した重厚感のある邸宅。
ジェイコブス邸(1936年)
低価格で建築できるように無駄を無くし、設計されている。
カウフマン邸 / 落水荘(1936年)
まるで、滝の上に建てられたかのような住宅。まさに、日本絵画のような耽美的な世界。片持ち梁によって滝の上に大胆に張り出されたバルコニーが特徴の建物で、自然との完璧な調和を図るというライトの考えを具現化した建築だ。
ジョンソンワックス社(1939年)
オフィスビルの設計にしては珍しく、柱が特徴的な蓮の葉のようなデザインになっている。自然採光の仕組みを導入し、天井から自然光を取り入れる近未来的なデザイン。
ソロモン・R・グッゲンハイム美術館(1959年)
ニューヨークを代表する美術館であり、白いカタツムリのようなユニークな建築。螺旋状に続く内部空間は圧巻。
マリン郡役所(1963年)
フランク・ロイド・ライト最大の公共建築で、まるで宇宙船のような奇抜で巨大な建築物。
フランク・ロイド・ライトの作品は、作者の人格とは裏腹に、皮肉なまでに美しいのも事実である。機能性を一旦度外視し、美しさを貫いたスタイルは、今でも人々を魅了している。