ジェフリー・バワ最初にして最後の作品。50年かけて建築し続けた「ルヌガンガ」

photo : Mio Umenaka

50年という時間は、一体どれくらいの時間だろうと考えてみる。

日本の住宅の平均寿命が約30年。(130年以上も建設し続けているサグラダ・ファミリアは例外として)50年もひとつの建築を建築し続けた個人住宅は、世界中見渡してもごく稀なのではないだろうか。

ノーステラス (North Terrace) から臨むベントタ川の景観 | photo : Mio Umenaka

コロンボの南約60kmに位置するベントタの郊外、ベントタ川に東西囲まれた丘に建つ別荘「ルヌガンガ」。ジェフリー・バワが1949年から亡くなる2003年までの間、シナモン農園だったこの土地と「ルヌガンガ」に手を入れながら週末を過ごしたと言われている。

バワの代表作であるヘリタンス・カンダラマやライトハウスなど100室以上あるリゾートホテルとは異なり、広大な敷地に全6室の宿泊施設として開放している。

バワの住宅に招待されるという宿泊体験

photo : Mio Umenaka

ベントタ駅から車で10分ほど走らせた森の中に到着し、バワの弟子という女性に迎えられチェックイン。

宿泊室は母屋にスイート4室と、かつてシナモン畑だったという母屋から徒歩10分程度のシナモンヒルサイドに2室の合計6室からなる。

母屋の1階平面図 | photo : Mio Umenaka

バワのコレクションに囲まれたギャラリールーム (Gallery Room) が最も広く、1980年に増築されたエントランス上部を横切る両面ガラス張りのグラスルーム (Grass Room) や、造園の際に使用していたとされるガーデンルーム (Garden Room) が母屋側にある。

パヴィリオン立面図 | photo : Mio Umenaka
ゲートハウススイート (Gate House Suite) の1階平面図 | photo : Mio Umenaka

1960年代に設計アシスタントの部屋として使用されていたゲートハウススイート (Gate House Suite) はエントランス側にあり、離れのような感覚。

ガーデンルーム (Garden Room) 立面図 | photo : Mio Umenaka

最後に作られたシナモンヒル (Cinnamon Hill) は、親しい友人を招いていた時にゲストルームとして利用していたそうで、宿泊室2室と共有の談笑スペースがエントランスホール横に配置されている。

シナモンヒル (Cinnamon Hill) のエントランスホール横の談笑スペース | photo : Mio Umenaka

どの部屋もオリジナリティがあり、時を超えてバワと友人たちの生活を追体験することが出来るため、予約の際に非常に悩ましい選択を迫られる。

photo : Mio Umenaka

全室埋まってしまうことがほとんどなので、どうしても泊まりたい部屋があった場合は半年ほど前を目安に予約を入れたい。

五感のすべてを解放し、身体を預けたい大地

母屋からシナモンヒルへは緩やかな傾斜がついた丘を越えて10分ほど歩いていく。荷物はスタッフが運んでくれ、日没後であっても道中スタッフが足元を懐中電灯で照らして同行してくれるというおもてなし。

photo : Mio Umenaka

この獣道ひとつなくよく整備された丘のど真ん中で、芝生の上に寝ころんでみて欲しい。

空には低いところと高いところで別の種類の鳥が群れを作っていて、リスとイグアナが時折そろりそろりと目線の先を通過する。大小の猿が奇声をあげながら木々をつたい、首に鐘をつけた牛がのっそりと動くたびにカランコロン。遠くの空から寺院で流れる祈りの音楽。

シナモンヒルからベントタ川を望む | photo : Mio Umenaka

地面から伝わる土の感触が、嗅覚を優しく刺激する草花の匂いが、木々のざわめきや鳥の声が、月明かりに照らされた川面が、身体中を全方位的に刺激してくる。目を閉じると、この島国中の人の生活の息吹が、魂にまでしみこむような錯覚にさえ陥る。
重力に逆らわずに身体を大地に沈めて、流れる時間に身を任せて、刻々とした時の流れを感じに行くだけで、価値がある。

そして夜には蛍が舞うのだから、これ以上に美しい丘は記憶にない。

バワ・38歳からの建築家人生 ~はじまりの場所~

パヴィリオン内観 | photo : Mio Umenaka

バワは人生で何度も旅に出た。

最初の旅は幼少期にはじまる。1919年コロンボの裕福な家庭生まれたバワは、両親に連れられて何度も世界中を旅して過ごした。

青年へと成長したバワは最初の職業として弁護士という道を選択する。コロンボの大学卒業後に19歳で渡英し、ケンブリッジ大学にて文学史の学位を取得。1943年にロンドンにて法廷弁護士として認められる。

しかし20代後半になり、自らの原点を探し求めて出た世界放浪の旅へ出る。その旅の途中にイタリアの庭園やヴィラに大きな感銘を受け、建築の世界にのめり込むことになった。

法律から建築へ転向を決意したバワは、再度渡英。ロンドンのAAスクールにて建築を学びなおし、38歳から建築家としてのキャリアをスタートした。スリランカへ帰国後、ベントタの郊外に広大な土地を購入し「ルヌガンガ」の設計に着手に至る。

photo : Mio Umenaka

バワが建築家人生をスタートさせたのは、38歳だった。初期の作品はオフィスや工場、学校などがあり、「トロピカルモダニズム」と言われたが、その作品はル・コルビュジエに大きく影響を受けていた。

その後も、建築知識の乏しさにより壁にぶつかり、何度も渡英している。

バワ・83歳までの建築家人生~終わりの場所~

バワお気に入りの池 | photo : Mio Umenaka

建築家となってからは毎週末訪れ、半世紀かけて造園を続けた。親しい人々だけを招いて過ごし、様々な作品のアイデアをテストする実験場であった。羽を広げた蝶をかたどった池や坪の広場、広大な芝生エリア、世界各国から持ち帰ったお気に入りのアートや試作品をこの庭に配置し、様々な作品におけるアイデアの源とした。

彼が亡くなるまで、50年もの年月をかけて繰り返した試行錯誤が、このルヌガンガには詰め込まれている。

バワは同性愛者であったため、生涯独身を貫いた。生前の遺言通り、このシナモンヒルで火葬され、バワの遺骨はこの見晴らしのいい丘に眠っている。

かつて、ストックホルムの世界遺産・森の火葬場を訪れた際、設計者であるグンナー・アスプルンド墓標を見つけた。憧れの建築家が眠る場を前にして、駅前の道端で花売りから花を買って行けば良かったと、とても後悔したことがある。

次回ルヌガンガを訪れる際には、真っ赤なバラを持って門を叩こうと思う。

知る限り最も潤いのあるガーデンツアー

毎日開催されているガーデンツアーやランチで宿泊客でなくても訪れることが可能。ガーデンツアーでは蝶の形を模した池、坪の広場、バワのトレードマークと言える市松模様の床、厳選された部屋の調度品、生命を感じる樹幹の形状などをゆっくりと歩きながら巡ることが出来る。

井戸カバーもバワオリジナルのデザイン | photo : Mio Umenaka

それぞれ9:30、11:30、14:00、15:30よりスタートで、1時間程度で敷地全体を設計アシスタントだった方が案内してくれる。

photo : Mio Umenaka

ランチ営業は 12:30-14:30(宿泊客により席の制限があるため事前確認必須)。ガーデンツアーは入場料Rs.1500(予約制・宿泊者は無料)。

スリランカ家庭料理を楽しめるディナー | photo : Mio Umenaka

料理は、バワこだわりのレシピだというカレーを中心にしたスリランカの家庭料理が振る舞われる。各国のメニューに変更が可能だが、この夕飯がとても美味い。

半屋外のベランダ | photo : Mio Umenaka

メインのベランダには8人が着席可能。最大4人の小さなグループで湖を見ながら、屋外のベランダでゆったりとディナーを頂く。夕焼けとともにしっとりとした極上のディナータイムを満喫してほしい。

同性愛者と天邪鬼の時空を超えた感情戦

ここで1日を過ごし、究極のおもてなしを受けているうちにバワという人間に嫉妬心が湧いてくる。

この広大な敷地を壮大な思考実験の場として購入でき、ジュースが欲しいときに鐘ひとつで使用人を庭のベンチへ呼べるほどの上流階級が、一流建築家であることに一抹の疑念を覚えてしまうのだ。

バワが使用人を呼んだ鐘 | photo : Mio Umenaka

しかし彼が生涯孤独の同性愛者だったと言われると、大地の脈動に抗わずに寄り添って立つ彼の建築が放つパワーに納得がいくのは、私が天邪鬼だからだろうか。

このルヌガンガが未完であるのか、完成形であるのかは、自ら体験して感じてみて欲しい。

Lunuganga – ルヌガンガ

TEL : +94 34 4 287051
URL : http://www.geoffreybawa.com
住所:Dedduwa, Bentota 32350, Sri Lanka