近代建築の巨匠グロピウスが創立した 「バウハウス・ヴァイマール」はいかにして誕生したのか。
建築やデザインに関心のある者なら「バウハウス」の名前を知っているだろう。
2019年に創立100周年を迎える「バウハウス」は、建築を含むアートと工芸などを総合的な学校として1919年に誕生した。先鋭的なデザイン教育は、当時から世界を席巻したが、1933年にナチス・ドイツの圧政によって幕を閉じることになった。たったの14年しか存在していない「バウハウス」は、100年経った現代でも全世界に大きな影響力を持っているし、時には新しさを感じさせてくれる。
最も民主的な憲法を持つヴァイマール共和国
第一次世界大戦で敗戦したドイツは、ドイツ革命によって帝政が崩壊し、ヴァイマール共和国が発足。その元になった1919年に制定したヴァイマール憲法は、国民主権や基本的人権の尊重、男女平等、議会制民主主義など当時としては先進的なものだった。ヴァイマール共和国の成立は、ドイツ国内では新しい時代への気運をより高めた。
そのヴァイマール共和国が存在していたのが1919年から1933年とバウハウスの設立と閉鎖が重なるのは偶然ではないだろう。
バウハウス設立以前とアンリ・ヴァン・デ・ヴェルデ
だからと言ってバウハウスは、1919年に急に誕生した訳ではない。
アンリ・ヴァン・デ・ヴェルデというベルギー出身の建築家の存在を忘れてはならない。産業革命の中心地イギリスで起こったアーツ・アンド・クラフト運動に影響を受けたアンリ・ヴァン・デ・ヴェルデは、インテリア、家具など様々なもののデザインを手掛けていた。
もともとアール・ヌーヴォーの建築家であるアンリ・ヴァン・デ・ヴェルデは、産業革命後の発展していく技術と芸術との統合を目指し、モダンなデザインを模索し始めた。
その後彼は、1906年にザクセン大公立工芸学校の校長としてザクセン大公に招聘され、同時にドイツ工作連盟に加盟。
そのドイツ工作連盟は、アンリ・ヴァン・デ・ヴェルデの他にバウハウスの初代校長であるヴァルター・グロピウスやその師匠にあたるペーター・ベーレンス、ブルーノ・タウトなどが参加していて後のバウハウスにも大きく影響している。ドイツ工作連盟のメンバーであるペーター・ベーレンスは、「AEG」のデザイン顧問でもあり、有名なAEGタービン工場の建築も手掛けたり、AEGの製品のインダストリアルデザイナーとして活躍したり、それらの製品に使われる会社のロゴを手掛けたりしている。そういったことからも後のバウハウスとの関係を無視できない存在である。
同様にモンドリアンやリートフェルトで知られる芸術家集団デ・スティルも後のバウハウスと相互に影響を与えあっていた。
そして、もともと画家志望でアール・ヌーヴォーの建築家だったアンリ・ヴァン・デ・ヴェルデは、第1回ドイツ工作連盟ケルン展の後にプロダクトの規格化を推し進めたヘルマン・ムテジウスとの間で「規格化論争」を起こした。それと同時期に第一次世界大戦後が勃発し、外国人への風当りが強くなり、ベルギー出身であるアンリ・ヴァン・デ・ヴェルデはドイツを去ることになった。
バウハウス初代校長となった近代建築の巨匠ヴァルター・グロピウス
同時に工芸学校を去ることになったアンリ・ヴァン・デ・ヴェルデは、同じくドイツ工作連盟のメンバーだったヴァルター・グロピウスを時期校長に指名した。結果的に戦争が激化したことでザクセン大公立工芸学校は閉鎖されてしまうが、後にヴァルター・グロピウスがバウハウスを開校する。
ヴァルター・グロピウスは、ル・コルビュジエやフランク・ロイド・ライト、3代目のバウハウス校長を務めたミース・ファン・デル・ローエらとともに近代建築の四大巨匠と評されるモダニズムを代表するドイツの建築家。ペーター・ベーレンスの事務所で働いていたヴァルター・グロピウスは、「ファグスの靴型工場」を手掛け、後にバウハウス・デッサウ校舎のような鉄とガラスなど近代的な素材を使ったモダニズム建築を既に実現していた。
余談であるが、3代目校長を務めたミース・ファン・デル・ローエとはペーター・ベーレンスの事務所で出会っている。
近代的なデザインを実現するための新しい学校にヴァルター・グロピウスは適任だったと言える。後に自ら設計するバウハウス・デッサウ校舎のような芸術性も高く、機能性もある現在知られる機能主義的なデザインを目指した。また、グロピウスが手掛けたバウハウス校長室のインテリアは、バウハウスの模範的な機能的で合理的なデザインを体験できる。
ヴァイマールに誕生したバウハウス
第一次世界大戦が終結してヴァイマール共和国が建国されて間もなく、美術大学と統合という形でヴァイマール州立でバウハウスが誕生し、ヴァルター・グロピウスが初代校長に就任した。
バウハウスでは、ワシリー・カンディンスキーやパウル・クレーなど当時の著名な芸術家をマイスターと呼ばれる講師として集めた。それに加えて、それまでのような専門的教育ではなく、芸術家も職人も同列に別け隔てなく造形や色彩、発想などを学ぶ予備課程を用意。初期には芸術家であるヨハネス・イッテンによって作り出された機能主義的なものと表現主義的なものを混同したものだったが、これがバウハウスから世界中に広がり、デザイン教育の基礎となっている。
現在ヴァイマール・バウハウス大学の工房棟として使われているこの建物の中には、バウハウスで彫刻や舞台芸術などの指導にあたったオスカー・シュレンマーが1923年に制作した壁画があり、「影」をコンセプトとしたダイナミックなデザインで非常に迫力がある。
現在は建築や土木工学、アートとデザイン、メディアの4つの学科を持つバウハウス大学ヴァイマールとして使われている。
建築だけでなくあらゆるデザインを語る上で欠かせないキーワードでもある「バウハウス」をどのくらい知っているだろうか。
それは突如誕生したのではなく、ヴァイマール共和国という素地に近代的な感性を持ったアンリ・ヴァン・デ・ヴェルデやドイツ工作連盟、そしてやはり初代校長であるグロピウスの存在があった。14年という非常に短い期間だったが、デザインそのものだけでなく思想や概念を教育したことが大きい。
Bauhaus Weimar – バウハウス・ヴァイマール
Geschwister-Scholl-Straße 8, 99423 Weimar, Germany